「アンヨホ(案余歩)」。「ホ」は無音化しました。案余の歩、案(考えること)に余る歩み、自分の考えが及ばない歩み、がそのように表現されました。歩くか歩かないかを考え、歩くことを決め、自分の意思として歩くわけではない、自然の歩み。歩くこと、さらに転じて足、を表す幼児語です。すなわち歩み始めた幼児の歩みがそのように表現されました。もちろん幼児がそのように表現したわけではなく、最初にそう表現したのは相当な大人、ないしは老人、でしょう。
この「余(ヨ)」の用い方は特異ですが、「余儀(ヨギ)」や「余(ヨ)の事」がほかの儀やほかの事を意味し、「二十余」が二十を超えたいくつかを意味するような表現に影響されたもの。こうした「余(中華人民共和国音は、ユ)」の用い方は、たぶん、中国語にはないでしょう。しかし、中国語でも「詩余」が「詩」と言うのがはばかられるような詩を意味したりはします。
「あんよは上手(ジャウズ)、転ぶはお下手(へた)」。