「ありにうし(在りに大人)」。「ありぬし」のような音を経つつ「あるじ」になりました。助詞「に」に関しては下記※。「ありにうし(在りに大人)→あるじ」は、在(あ)る(現に存在する)という状態にある「うし(大人)」。「うし(大人)」は「居(う)し」であり、全体の意味は、「在り」に存在する、「在り」という状態で存在する、権威、のような意味になります(「うし(大人)」に関してはその項)。つまり「あるじ」は、「うし」としてまさにある「うし」です。その権威に現実の実効性がある本物の「うし」。「うし」らしい「うし」。つまり「うし」の美称です。後には、家を差配する人は一般に「あるじ」と言うようになります。
「あるじす」が接待主になること、すなわち人をもてなすことを意味したりもします。「方たがへにいきたるに、あるじせぬ所」(『枕草子』)。
似たような表現に「あろじ」があります。
「あろじ(主)」は、「ありをうし(在るを大人)」。「う」は前音に吸収されるように消音化しました。「を」は状態を表現します(→「を(助)」の項)。意味は「あるじ(主)」と実質的に変わりません。これも「うし(大人)」の美称です。
※ここでの助詞の「に」は、たとえば「まっすぐに行く」の「に」が「行く」という動態がどういうものかを認める役割をしているわけですが。ここではその「行く」の部分が、動態ではなく、「うし(大人)」という名詞であり、「まっすぐ」という状態を表現する部分が「あり(在り)」という動態表現になっている、ということです。ここでは「うし(大人)」を名詞と書きましたが、この「あるじ(主)」という語の成り立ちには「うし(大人)」の語源も影響します。