「あらはひとがかみ(顕人が神)」。「あらは(顕・露)」はその項(2019.09.02)参照。「が」は所属を表現する助詞(「母が手(母の手)」のように所属を表現し、「彼が来る」のように主格を表現するわけではないということ)。「あらはひとがかみ(顕人が神)→あらひとがみ」は、「あらは(顕・露)」(確かな現実化)なる人の神。人として現実化する神。現実化している人の神。「あらはひとがかみ(顕人が神)→あらひとがみ」を原意的に表現すれば、『有るは…』は、人が神、ということ。つまり、人に属する神(かみ)、人と属性を同じくする神(かみ)、に『在(あ)るは…』と感嘆しているわけです。これは「すめろき(天皇)」の俗表現のように生まれた語かもしれません。「すめら」が「かみ(神)」と表現されたわけです(→『音語源』「すめら」「すめろき(天皇)」の項)。その意味では(つまり、「すめら」が神ではないなら天皇は「あらひとがみ(現人神)」ではない、という意味で)たしかに天皇は現人神(あらひとがみ)なのですが、その人において「かみ(神)」が(無意味も含め)どういう意味で作用しているかによって、さまざまな誤解が生じたりとんでもないことや馬鹿馬鹿しいことが起こったりします。