「あえやみあり(熟え闇有り)」の四段活用動詞化(「あり(有り)」は変格活用。四段活用とは終止形が異なります)。権威ある者の判断において「それはあえやみあるい(それは熟え闇有るい・それは熟え闇有ること):「い」は指示代名詞のようなそれ(→『音語源』「い」の項)→それはあやまり(それは誤り)」が連用形名詞化のように働いた可能性もあります。「あえやみ(熟え闇)」は成熟し滴り落ちてくるような闇。そこにはもはや光は可能性においてもない。つまり絶望。そのような闇が、そして闇に、ある、という宣言が「あやまり(誤り・謝り)」。「あえやみあり(熟え闇有り)→あやまり」は成熟し滴り落ちてくるような闇に、絶望に、入った状態になること。
元来は、「陰陽(ふゆなつ)あやまりたがひて、寒さ暑さついでを失へり」のように、事象が「あえやみ」になっている、という表現がなされました。物の場合も、それに関する事象です。「おもへり(面様・表情)あやまりぬ」(『日本書紀』継体即位前:表情を間違えた、という意味ではありません。表情が、闇が降りたような印象で、変わった)。「思ひ乱れいとど御心地もあやまり」(これも「御心地」がそうなった)。「姫宮をあやまり」(姫宮に危害を加えた。「を」は状態を表現する)。「肩をあやまり」(肩を負傷した)。「契(ちぎ)れることあやまり」(間違った約束をしたわけではありません。誓や約束に不吉な闇が降りたような状態になった。誓や約束を果たさなかった)。「達人の人を見る眼(まなこ)は少しもあやまる所あるべからず」「わが道を人の知らざるを見て、おのれのすぐれたりと思はんこと大きなるあやまりなるべし」。
「あえやみあり」は「あえやみなし(熟え闇無し)」という表現は起こりません。なぜなら、有無の判断をした場合、そこには「あえやみ」があるから。その否定判断は「あえやみあることなし→あやまることなし」です。その肯定表現は「あやまることあり」であり「あえやみ (熟え闇)」をもたらした主体が「あやまることあり」になれば、それは自分に「熟え闇」が起こったことを認めることであり、それは「熟え闇有り・あえやみあり→あやまり(謝り)」になります。AがBに「あやまる(謝る)」場合、AはBに対し、自分にはBに関する「熟え闇」が有ることを表明します。そこに不吉な「熟え闇」がない場合、どのような言動があろうと、Aは謝(あやま)っていません。「鬼の責(せめ)る勢ひで御座るに依て、ちと強う当た事も御ざらう。其所で、まっぴらあやまったと申しまする」(狂言)。派生的には「あやまる」は降伏・降参することや辞退することも意味します。「そとをあるくと日にやけるであやまる。こまったものだ」(自分にはとても勝てない、降参するような事態だ、のような言い方である)。「おらァめしはあやまらう。酒をのんだらちとのぼせてきた」。