「あえやみまち(落え闇待ち)」。「あえやみ(熟え闇)」は成熟し滴り落ちてくるような闇(→「あやまり(誤り・謝り)」の項(明日の予定))。「あえやみまち(落え闇待ち)→あやまち」は、降りてくる闇を待つこと。不吉な闇が降りてくるのを待っている状態になること。絶望を待つ状態、絶望しかない状態、になること。すなわち、必ずそれはやってくる。どのようなことがあった場合それが言われるのかと言えば、代表的には人を殺すことであり、重大な傷を負うこと(負わせること)、その立場からして、それによって生涯致命的な事態になりかねない男女間の関係なども言われます。「われはあやまたれなんず(なむとす)、神仏たすけ給へ」(『宇治拾遺物語』:これは盗賊に襲われ殺されそうになっています)。「正身(ただみ)かもあやまちしけむ」(万3688:この人は旅の途上で死んだ。重大なことになったのは本人か(現実に見ているのに信じられない)、ということ)。「帝(みかど)の御妻(め)さへあやまち給ひて」(『源氏物語』:帝の御妻を殺したわけではなく、あってはならない関係になった)。「やど近く梅の花植ゑじあぢきなく待つ人の香にあやまたれけり」(『古今集』:これも、それほど致命的な恋だと言っています)。

神聖さを汚(けが)すような重大なことになることも言います。「非威儀を離れて、進と止に謬(あやまつ)ことなし」(『金光明最勝王経』)。法や規範、さらには重要な人の遺言、などに違背する、背く、といった意味で用いられるのはこうした用い方の発展でしょう。聖なる法に背く、といったようなこうした用い方は仏教の世界から始まったのかもしれません。