「あまゆ(甘湯)」の動詞化。「あまゆ(甘湯)」は水飴や蜂蜜を湯に溶いたものかもしれず、方言に甘酒を「あまゆ」というものがあり、発酵させた甘い飲み物である可能性もあります。これが「あまい」に(つまり四段活用に)ならないのは、その動態が客観的な対象によるものでありその自動態が表現されているからです。つまり、「あまゆ(甘湯)」になるのは客観的にある人やものごと(A)であり、それを受けて(それを味わって)判断力が弛緩したような(さらには、判断力の失われた)陶酔した状態になることが「Aにあまえ」。AにあまえているBは甘湯を味わっている状態になります。客観的対象が「甘湯」になっている自動表現もあります→「いとあまえたる薫物(たきもの)の香を返す返すたきしめ…」。
「かくのごと罪侍(はべ)りとも、おぼし捨つまじきを(心にかけてくだることがなくなるなどいうことはないことを)頼みにて、あまえて侍るなるべし」。「ご厚意にあまえて…」。
きまり悪く思う、や、恥じ入る、のような意味でも用いられますが、これは、自分が判断力の乏しい「あまゆ(甘湯)」であることを自覚した自動表現、ということでしょう。「何者の家ぞと尋ねさせ給ひければ、貫之の主のみ娘の住む所なりけり。遺恨のわざをもしたりけるかなとてあまえおはしましける」。