「あまのさぐめ(天探女・天佐具賣)」は「あまのそあげいふめ(天の背挙げ言ふ女)」。「あまの(天の)」はそれが天界のもの・ことであり神格的なもの・ことであることを表現します。「そ(背)」は「せ(背)」のO音化であり対象的な情況表現ですが、「そあげいふ(背挙げ言ふ)」は、今そこで言われたり思われたりしていることに対し、前向き同調的に、ではなく、背向き・後ろ向き・逆向きに言動すること。その主体が神格化されました(これは『古事記』や『日本書紀』の「国譲り」の際に登場する神格です。「国譲り」では天若日子(あめのわかひこ)を問いただす使いとなった雉を射殺させたりしています)。そうしたことは男にもあることですが、それが「め(女)」になったのは、そうなった場合、女の方が心情的に全身的で対応が困難だったのかもしれません。
「あまのじゃく(天邪鬼)」という言葉がありますが、この「じゃく」は「ジャク(邪口)」でしょう(「ク」は「口」の呉音)。人を誹謗中傷するような邪(よこしま)なことを言うこと、その人。つまり、他を否定するようなことしか言わないししない人やことです。これが「あまのさぐめ」の影響を受けつつ神格化された表現になりました(ちなみに、「神格化」とは「一般化」であり、「崇拝化」ではありません)。何事であれ人の意にさからうような人も言い、仏像で仁王や四天王の足下に踏みつけられている小悪鬼も「あまのじゃく」とも言われます。「あまのざこ」とも言いますか、この「ざこ」は「邪口」の音でしょう(「コウ」は「口」の漢音)。