「あみふれ(余み狂れ)」。動詞「あみ(余み)」に関しては『音語源』「あまし(余し)」の項。意味は虚無感のある飽和的な状態になること。

「ふれ(狂れ)」は遊離し逸脱した情況になっていることを表現します(→『音語源』「ふり(生り・振り)」の項)。慣用的に漢字では「狂れ」と書きますが、ここでは気が狂っていることを意味しているわけではありません。遊離し(離れてしまい)あるべき秩序から逸脱してしまっていることを表現します。この遊離感が他動表現された「ふり」という動詞もあり、これは「(彼女や彼氏に)ふられ」(「ふり」の受け身)という表現にもなります。

「あみふれ(余み狂れ)→あぶれ(溢れ)」は何かが飽和的な状態になり遊離し逸脱した情況になること、何かがある秩序の飽和に達しその秩序から逸脱してしまうこと。この動詞は後に「あふれ」と清音化しますが(→「器に水があふれ」)、これはもともと濁音はさほど強いものではなく、「あぶれ」は社会的な秩序に適合できずそこから逸脱してしまうことを意味して用いられ、一般的な逸脱は、「あふ」という清音の方が動態情況に適応的でもあり、清音が一般的になったのでしょう。「涙の淵、岸にあぶれる如くなり」。「あぶれ居たる兵共」は社会的な逸脱。「仕事にあぶれる」も社会的逸脱。