「ああはあれ(「ああ」は有れ)」。「ああ」は感嘆発声。「は」は助詞。「あれ(有れ)」は「あり(有り)」の已然形。感嘆は有るが…、の意。感嘆の吐息はでるが…、という思いには、それで良いのかという思いがあり、それで良いのかという思いは、それで良いのかと思うほど素晴らしいという思いと、ほかになんとかならないのかという悲嘆的思いの二種があります。「あはれ」という言葉は古代には前者がありましたが(→A)、歴史的には後者の意味(→B)が支配的になっていき、「哀れ」という漢字で表現されるような「あはれ」になっていきます。意味がそうした方向へ向かって行ったのは、多分、仏教の無常感の影響でしょう。ある種の感嘆詞。

A.「あなあはれ布当(ふたぎ)の原、いと貴き、大宮処(おほみやどころ)」(万1050:この原文は「おもしろ」と読む人もいます。「あはれ」の原文はリッシンベンに「可」の字と「怜」)、「あはれ、あな面白」、「弥勒菩薩はあはれなり…」(『梁塵秘抄』)。

B.「家にあらば妹が手まかむ草まくら旅に臥(こや)せるこの旅人(たびと)あはれ」(万415:この原文もリッシンベンに「可」の字と「怜」。これは「おもしろ」ではないでしょう。これは死者を見ての歌)。