近年の日本では、空前のボランティアブームである。
猫も杓子も、ボランティア。ありとあらゆるボランティア。

そもそもの、ボランティアの概念とは、何だろうか?


大辞林 第三版
自発的にある活動に参加する人。特に、社会事業活動に無報酬で参加する人。篤志奉仕家。

日本大百科全書(ニッポニカ)
自発性に裏づけられた奉仕者、篤志家を意味するものであった。
しかし、産業社会の近代化、国際化が急速に進むにつれて、多様な活動に拡大していった。

ブリタニカ国際大百科事典
無償で自発的に社会活動に参加したり,技術や知識を提供したりする人,活動。
理念として,自分から行動すること,ともに支え合い協力し合うこと,見返りを求めないこと,よりよい社会の実現を目指すこと。



この日本では、長年広がらなかったが
2010年代、能力、体力、知識と時間を持て余した「団塊」定年組が
ボランティアで大活躍である。


阪神・淡路大震災が、大きな転機になったとは、よく言われる。
かつては「福祉・介護・障がい者」支援ボラが主流だった中で
「被災地支援」ボラが重宝され、活躍、話題となった。2018年7月現在も、豪雨後の片付けで支援が必要とされている。

「ボランティア」ってどういう意味ですか? いつ頃から日本に登場したのでしょう?」
「ボランティア」の本来の意味は「無償」でない!? 

しかし、
「ボランティア」という言葉、というか概念を、便利に使いすぎていないか?

世の中、というか、マスコミも、社会の風潮も。
「礼なんか要らない」「見返りを求めない」「無償の慈善活動」
を絶対善として、高い要求をしすぎていないか?


時々
「雪かきボランティア」などで、ヒドい記事を見る。
参加費用を払って(安くない)重労働の雪かきをするという。
「2万7000円払って雪おろし作業体験」

被災地支援も、行ってみようか、と一瞬思うが
「交通費自腹」「宿泊自腹」「テントとか、自活できる方」
と言われると、それこそもう、近所、付近の方々でがんばってくれ、としか言えない。


または、ホントに、文字通り志願者、ボラ経験者、組織など。
ただ、そういう人々だってサラリーマンだったり日常生活があると、何かを犠牲にしなければならない。


いくつか、ボランティアの苦悩を扱った作品を見た。(何だかんだで、テレビ好き・・・)

映画・深夜食堂「カレーライス」
純粋な奉仕精神のつもりでボランティアをやっていたサヤは、家族を亡くした男にプロポーズをされ悩んでしまう
映画「深夜食堂」


NHKドラマ 「苦くて、甘い」福岡、八女星野村
東京から福岡に転勤してきたばかりの会社員。見知らぬ土地で一人、満たされない毎日を送っている。
偶然、星野村での災害ボランティアに参加することになる。ところが村のために献身的に汗を流す人々の中で、ボランティアに全く興味が持てない。
ベテランボランティアや女子大生をはじめとする他のボランティアたちとの衝突も絶えなかった。

「苦くて、甘い」~希望の茶~



ボランティア活動を否定する気はないが
善意につけこむ、無理を強要する、そういう風潮に持って行く、
そういうのは、賛成できない。

基本、ボラ活動ができる人なんて、「余裕とゆとり」がある人に限られるだろう。
時間、金銭、体力、そして、心のゆとり。

やる人は、2つでも3つでも参加する。
やらない人は、永遠に、やらない、1つも、一度も。

日本は、どこへ向かっていくのだろう・・・??




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