美にこだわり

美を追い続けた

ピート・バーンズ生涯

 

 

 

 

  ピート・バーンズとは

 

 

 

 

ピート・バーンズは、1985年の大ヒット曲「ユー・スピン・ミー・ラウンド(ライク・ア・レコード)」で知られる「デッド・オア・アライヴ」のリード・シンガーで作詞、作曲家。端正でゴージャスな顔立ちとジェンダーレスなファッションで脚光を浴びました。

 

音楽界を引退したのち、リアリティ番組に出演するようになると、劇的に変化した容姿が知られるようになりました。

 

 

  生い立ち

 

 

ピート・バーンズは、1959年8月5日リヴァプール近郊で、ドイツ系ユダヤ人の母とイギリス人の父の間に生まれました。

 

母親はユダヤ人であるためナチス政権から迫害を受け、ドイツからオーストリアに逃げていた時に、ウィーンでイギリス軍の兵士だった父親と知り合い、結婚。

 

母親は元々お嬢様育ちで人目を引く美女でしたが、異国の地の生活に馴染めず、アルコール依存症、麻薬中毒、更に第二次世界大戦中に家族の運命を知ったことで神経衰弱に陥り、何度も自殺を図ったそうです。

 

「母は1日に5回も衣装を着替え、メイクにこだわりを持っていました」。ピートは、ファッションへの愛は母親から受け継いだものと述べています。

 

少年期のピートは、実際は美少年であったにも関わらずなぜか自分を醜いと思っており、絵の具を顔に塗ったり化粧をしていたそうです。この少年期に抱えた思いは、生涯変わることはありませんでした。

 

また、母親がピートを頻繁に学校から遠ざけたため、母親と一緒に過ごす時間が多くなりました。「母は私に夢を見る力、楽しくないかもしれない場所から抜け出して頭の中に入り、どこか別の場所に行く力を与えてくれました」と孤独ではあったけれども、母親は1番の友達だったと回想しています。

 

 

  美容整形への依存

 

 

数々のヒット曲を放ち、男性からも女性からも「キレイ!」と美貌を称賛されるも、幼い頃からの「自分は醜い」という思い込みは解消されることはありませんでした。それでも最初の手術は、以前折った鼻を治療するためのものでした。

 

しかしカメラに映る時間が増え、カメラマンが彼の鼻の隆起を指摘したことで、より「何とかしなくては」という思いが高まったことから、整形依存へと陥っていったのです。


度重なる手術でピートの顔と唇に感染症が起こり、さらにそれらの矯正手術を何度も受けることになった結果、こうした手術で使用された薬剤のせいで、足、心臓、肺に血栓ができてしまったと、ピートは英国のリアリティ番組「Botched Up Bodies」で語っています。

 

結局、ピートは、約300回の整形手術を受けたと明らかにしています。美容外科医のミスで唇を切除しなければならない危険に晒され100万ポンドの訴訟を起こしたり、精神的にも肉体的にも何度も崩壊して自殺を考えたことも数えきれないほどあったそうです。

 

 

  突然の死去

 

 

2016年10月24日、ピートは心臓発作により57歳でこの世を去りました。生前彼は、「80歳になって天国に着いたとき、神様が私を認識しないことを願っている」と語っていました。

 

ピートが何度も自殺への衝動に打ち勝って、自殺に走ることなく生きることを諦めなかったという意味で言うのであれば、もしかしたらやっと美への執着から解かれて、楽になれたのかもしれません。

 

 

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