溺れながらも泳いだ
「うなぎのエリック」が
教えてくれたこと
うなぎのエリックとは
「エリック・ザ・イール(うなぎのエリック)」とは、赤道ギニアの水泳選手、エリック・ムサンバニ・マロンガさんの愛称です。
2000年シドニー・オリンピックの100m自由形予選で、溺れながらも必死になって最後まで泳いだ姿に、一躍その名が世界に知られることになりました。
ちなみに同種目で優勝した選手のタイムは48.30秒ですが、ムサンバニ選手のタイムは、2倍以上の1:52.72秒でした。これは赤道ギニアの国内記録を更新しましたが、オリンピックのワースト記録です。
その時以降、次のムサンバニ選手になりそうな選手を、メディアはこの名前にあやかって呼ぶようになりました。例えば、2016年、100メートル自由形で他の選手より半周遅れでゴールしたエチオピアの水泳選手ロペル・ハプテ選手は、「ロベル・ザ・ホエール(クジラのロペル)」と呼ばれました。
トレーニング方法
十分なトレーニング施設のない国から参加も出来るようにと考案された「ワイルド・カード」の抽選で、参加資格を得たムサンバニ選手。
オリンピックに参加するまで、ムサンバニ選手は長さ50mのプールを見たことがなかったそうです。
赤道ギニア国内にある最も長いプールはホテルにある12mのもの。ムサンバニ選手はこのプールを午前5時から6時の間だけ借りて練習していました。
またオリンピックの予選まで8ヶ月しかなく、ターンの練習もほとんど出来なかったということです。
思わぬ展開
さて目の前に広がる50mのプールだけでも緊張するであろうに、とんでもないことがムサンバニ選手を襲います。
何と、同じ組で泳ぐはずだったニジェールとタジキスタンの選手が相次いでフライングで失格となり、大観衆の注目を自分1人で浴びて泳がなければならなくなったのです。
「最後の50メートルは人生で一番辛かった」その時の様子をムサンバニ選手は、「でも、人々が拍手して私の名前を呼ぶ声を聞いて、残りの50メートルを泳ぐための力と勇気が湧いてきました。人生で初めて100メートルを泳いだのです。」と「メール・スポーツ」誌に語っています。
多くの人々はとうに忘れ去っていたオリンピックの原点「参加することに意義がある」という言葉を、ムサンバニ選手を見て思い出したに違いありません。それは素晴らしい記録が出た時に味わう感動とはまた違う、もっと人間らしい感動です。
ムサンバニ選手のその後
シドニー・オリンピックの100m自由形予選から1週間後、赤道ギニアの大統領は、将来の水泳選手のためにプールを建設すると彼に約束します。またムサンバニ選手を通して赤道ギニアの現状を知ったスポンサー企業からは、様々な競泳用具や金銭面などの援助が受けられることとなったそうです。
その後ムサンバニ選手はプールよりも川でトレーニングを重ね、ビザの関係でアテネ・オリンピックには参加出来なかったものの、57秒を切るタイムを記録。
現在は水泳コーチとして後進の指導に当たっているとのことです。アイコンである自分がコーチであることは、選手は勇気を持つだろうと言っています。国にとって優秀な人材がいない時は、4人の子供の父親である彼は、家計を支えるため石油会社で働いているとのこと。
映画会社オーロラ・フィルムズは、2025年から2026年の間に、ムサンバニの選手の脚本付き長編映画を撮影する予定があることを明らかにしました。
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