8月7日は

マタ・ハリ

お誕生日

 

 

 

 

  マタ・ハリとは

 

 

 

マタ・ハリとは、マレー語で「太陽」を意味し、現在では女スパイの代名詞となっています。

 

マタ・ハリは第一次世界大戦の最中、ドイツのスパイとしてフランス軍に捕えられ、銃殺刑に処されました。

 

エキゾチックな美貌と妖しげな踊りで、多くの男性達を魅了し、高級娼婦として、多数のドイツ軍将校やフランス軍の将校とベッドを共にして、2重スパイとして働いていました。

 

多くの人が知っているのはこの部分だと思います。では、それ以前の彼女を知っていますでしょうか?

 

 

  生い立ち

 

 

マルガリータ・グレタ・マクラウド(通称マタ・ハリ)は、1876 年にオランダの裕福な家庭に生まれました。

 

しかし、父親が石油株への投機で財政破綻し無一文のまま家族の元を離れ、母親はマルガリータが15歳の時に亡くなり、彼女は双子の兄弟からも離れて、親戚のもとで暮らすことになりました。

 

18歳の時、「帰省中の士官が、結婚を希望する性格の良い女性と出会いたい」という新聞の個人広告に目を留めます。ルドルフ・マクラウドはオランダ軍の38歳の軍人で、大酒飲みであることから、糖尿病とリウマチにも悩まされていました。

 

それでも、ルドルフの胸に飾られていた数々の勲章は、すべてに目をつむがせてくれるほど魅力的だったのかもしれません。

 

 

  不幸な結婚生活

 

 

結婚して1 年以上経った頃、第一子のノーマン・ジョンを出産しますが、ルドルフのアルコール依存症、数々の女性との浮気、若い男性がマルガリータに言い寄るたびに嫉妬し激怒すると、彼女に殴る蹴るの虐待を加え続け、果ては堂々と妾を囲い、マルガリータは絶望するのです。

 

もうひとり子供が出来れば、夫婦仲も変わり上手くいくのではと第二子の出産に踏み切りますが、ルドルフは女の子であったことにがっかりします。その子はジャンヌ・ルイーズと名付けられましたが、たいていの場合、マレー語の「ノン」という名前で呼ばれていました。

 

そんな折、ルドルフはスマトラ島で任務に着くことになり、妻子を呼び寄せます。マルガリータは司令官の妻として豪華なパーティやら使用人の統制、ゲストをそれぞれの母国語でもてなす(オランダ語、ドイツ語、英語、フランス語他)など、ルドルフの成功に大きく貢献したことで、ルドルフもマルガリータを認めるようになります。

 

悲劇はそんな時に起きました。犯人は不明ですが、おそらくルドルフが不当に扱った乳母が、子供達に毒を盛ったと言われています。或いは、ルドルフからマルガリータに梅毒が感染し、それが長男へとうつり、当時梅毒の治療薬として使われていたのが、現代では有毒で知られる水銀を投薬することで、子供達は水銀中毒になったのではと言われています。

 

ノーマンは死亡し、ノンはかろうじて生き延びました。しかし長男の死は、夫婦それぞれを鬱に追いやり、結婚から7年後、2人は離婚します。ノンはルドルフに引き取られ、生涯マルガリータと再開することはなかったそうです。

 

 

  娘もまた被害者だった

 

 

しかし実際は、離婚後(1902年)、娘のノンはマルガリータとしばらく一緒に暮らしていました。ルイーズの親権はマルガリータに与えられました。また裁判所はルドルフに養育費を払うようにと命令を出したにも関わらず、ルドルフは養育費を一切支払いませんでした。無一文のマルガリータは娘との生活に大変苦労していました。

 

一方、ルドルフはマルガリータに対して残酷で虐待的だったものの、娘には良い父親だったという理由で、マルガリータは仕事を探すために、ノンをルドルフに預けることもありました。そして、ノンは父親のルドルフに誘拐され(1903年)、母親のマルガリータとは連絡が取れないようにしたということなのです。

 

成長したノンは、オランダ東インド諸島の学校教師となるため旅立つ数日前に、急死します。原因は先天性の梅毒でした。

 

彼女の墓石には、単に「私達のノン」としか記されていませんでした。その理由は、ルドルフが自分とマルガリータが両親であるということを皆に知られたくなかったからだといいます。

 

 

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