6月1日は
マリリン・モンローの
お誕生日
マリリンのアイドルだったジーン
マリリン・モンローは1926年6月1日に生まれ、1962年8月5日その生涯を終えました。
生前のマリリンの、彼女のアイドルは「ジーン・ハーロウ」であるという音声が残っています。
輝くようなブロンド、理想的なカーヴを描いた曲線美、ジーンは50年代にマリリンが登場するまで、30年代を代表するセックス・シンボルでした。
ジーンとマリリン二人の共通点
2022年Fox Newsで、ジーン・ハーロウの専門家でコレクターのダレル・ルーニーとハリウッドの歴史家マーク・ヴィエイラが協力して書かれた著書「ハーロウ・イン・ハリウッド」の新ヴァージョンが紹介されました。
ルーニーによると、ジーンには「非常に愛想が良く、子供らしい特質」があったそうですが、これは後に人々がマリリンの人格を形容する際、使う表現です。
また、ルーニーはジーンについて、「彼女は常に年上の男性、つまり自分を守り、安心させてくれる男性に興味を持っていた」と語りましたが、これもまさにマリリンの結婚生活を語る時の言葉です。
「金髪娘=頭が軽い」というイメージがありますが、実はジーンもマリリンもとても頭が良かったと言われています。ジーンは的確なウイットに富んだアドリブで、その頭の回転の速さに注目されていました。マリリンも実はそうであったと言われています。
実際、カーブを描いた眉や赤い口紅のメイクもマリリンのアイデアが取り入れられたものだったり、「モンロー・ウォーク」を生み出したり、ひとつひとつの所作に於いても、インタビューに際してマリリン・モンローとして期待される答え方に関しても、瞬時に人々の要求が読み取れるマリリンは、セルフ・プロデュース術にも非常に長けていました。
死してなお憧れのジーンのように
ジーンは、私生活までセックス・シンボルであり続けるよう求められることにストレスを感じて、アルコールに浸るようになり、腎臓を悪くして撮影中に倒れ、回復することなく、わずか26歳でこの世を去りました。
マリリンは36歳で亡くなっています。
前夫ジョー・ディマジオがマリリンの死後20年間に渡って、週に数回、彼女の墓跡に薔薇の花を手向けたのは、実はジーンが亡くなった時、婚約者だったウィリアム・パウエルが何年にもわたって毎週彼女の墓に花を届けさせたというエピソードを知ったマリリンが、ジョーとの結婚式の日、彼に約束させたとの話があります。
違っていたのは生い立ち
ジーンはミズーリ州カンザス・シティで歯科医のひとり娘として生まれましたが、彼女が11歳の時、非常に裕福な不動産業者の娘だった母親と労働者階級出身の父親とは価値観の違いから離婚となり、以降彼女は母親と暮らすことになります。
一方、マリリンはカリフォルニア州ロサンゼルスで私生児として生まれ、孤児院や何人もの里親の元を転々として育ったことはよく知られています。
ジーンは母親とは仲が良いというより、依存し切った状態で、彼女が亡くなるまでその関係は変わらなかったようです。