予期せぬ意味に
衝撃を受けた歌
思い出のグリーン・グラス
名曲 思い出のグリーン・グラス
きっとたくさんの人が一度は耳にしたことであろう「思い出のグリーン・グラス」。
森山良子さんの甘く透き通った声と日本語のやさしい歌詞で、ノスタルジックな思いに心を震わせた方も多いと思います。
原曲「グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム」もそうでした。
原曲の詩の持つどんでん返し
「そうでした」というのは、日本語の歌詞は、あくまで主人公である私が、パパとママや彼の迎えてくれる故郷に降り立った情景に終始していますが、原曲も途中まではまったく同じだったからです。
しかし原曲には「その後」がありました。
原曲の主人公は気が付きます。自分が故郷ではなく四方を壁に囲まれた小さな部屋=独房にいることに。「ああ、夢だったんだ。パパもママも大好きなメアリーも、夢だったんだ...」。
看守と老神父がいて、夜明けには自分は絞首刑台へと向かうだろう。死んだら、私は子供の頃によく遊んだ樫の木の影に横たわる。みんなは私に会いにきてくれるだろうで歌詞は終わるのです。
昨日夜遅く、何気に初めてこの原曲(詞)を聴いて、なんていうか大変な衝撃を受けました。
世界各国でNo.1を記録
ちなみにこの曲は1965年にオリジナルが録音され、全米チャートで4位になって以来、年代を超えてたくさんの歌手に歌われていますが、最も有名なのは1966年のトム・ジョーンズによるもので、世界No.1を記録しました。
トム・ジョーンズのvr.は、オーストラリア、ベルギー、アイルランド、ノルウェー、イギリスで1位。オーストリア、オランダで2位。カナダ5位、西ドイツ(当時)6位、アメリカ11位という大ヒットになっています。
日本で「どんでん返し」の部分がカットされたのは、歌謡曲が犯罪とか囚人に関する歌をよしとしないことや、囚人という存在がアメリカほど身近ではないからでしょう。
アメリカには政治や社会問題、犯罪を歌った歌がたくさんあって、人々が自分を表現したり何かを抗議したりする時には、使用されてきた歴史が長くあります。