元祖スーパー・モデル
山口小夜子の
心の在り方
日本の元祖スーパー・モデル
「日本の元祖スーパー・モデル」と呼ばれた山口小夜子さん。
今でこそ、日本人モデルが海外のランウェイを歩く時代ですが、70年代、80年代に日本人がパリコレの舞台に立つなど想像も出来なかったそうです。
ファッション・ショーといえば外国人が歩くもの、テレビで流れる化粧品のCMはハーフ・モデルの仕事という時代に、山口小夜子さんは、おかっぱ頭と切れ長の目で、世界に向けて「日本人の美」を確立したのです。
ジャン=ポール・ゴルチエ、イヴ・サンローラン、山本寛斎、高田賢三など、数々の名だたる一流デザイナーたちに愛され、1977年には、「ニューズ・ウイーク」誌の「世界のトップ・モデル6人」に、アジア人で初めて選ばれました(実は1973年の「ニューズ・ウイーク」誌で、世界の4人のトップ・モデルにも選ばれているのではないかという話もあります)。
メイクは自身の心の反映
小夜子さんのメイクは、透き通るように白い肌に、アイ・ラインで強調された切れ長の目、唇は鮮やかな赤いリップで縁取ります。
しかしそこに、ただ「日本人形」のようなでは片付けられない、山口小夜子さん自身の意志をもった眼差しが加わるのです。
時には涼やかな、時には情熱的な、彼女しか表現出来ないようなその眼差しは、例え誰かが同じメイクをしたとしても、誰にも真似出来ない「唯一無二の彼女自身の心の反映」と言ってよいでしょう。
東洋の神秘=小夜子と呼ばれて
山口小夜子さんは、「資生堂」と13年間の専属契約を結び、たくさんのアートとも呼べるような広告作品を発表して、「東洋の美」を発信していきます。
この頃には、彼女自身の海外での活動と広告の相乗効果で、「東洋の神秘=山口小夜子」と評されるほど、国内外で認められました。
実は、山口小夜子さん自身は身長が低いこと(170cmで日本女性としては高かった)、目が小さいこと、おかっぱには適してはいるけれど日本人特有のまっすぐな髪にコンプレックスを感じることもあったそうです。
でもオーディションを受ける際には、欧米人の真似をすることなく、いつも自分自身であること、自分自身が持っている武器で挑戦してきたそうです。