O.J.Simpson死去

事件

終わっていない

 

 

 

 

 

 

  O.J.シンプソンについて

 

 

O.J. シンプソンが4月10日、癌のため76歳でその生涯を閉じました。

 

シンプソンは元妻とその友人を殺害したとされる重要参考人となり、逃避行時にパトカーの車列に追跡される様子が、アメリカで全国放送され、国の内外で大変な注目を集めました。

 

シンプソンはランニング・バックとして大活躍し、1973年には、シーズンで2000ヤード(約1830メートル)以上ボールを前に進めた初のNFL選手になりました。

 

その後も俳優、解説者、コメンテーターとしても活躍し、人気を博した人物ですが、この事件より彼の名を広めたものはないでしょう。

 

シンプソンのことを知らないという若い世代に、少し親しみあることを言いますと、この事件の裁判で常に友人としてシンプソンの横に座り、一躍有名になったのが、今や超有名セレブ「キム・カーダシアン」やその幾人かの姉妹の父親である「ロバート・カーダシアン」です。

 

 

  国を2分した世紀の裁判

 

 

検察は、嫉妬に駆られて元妻ニコール・ブラウン・シンプソンと友人ロナルド・ゴールドマンを殺害したと主張。

 

一方、弁護団はシンプソンが黒人であるが故、警察が人種差別によりシンプソンを犯人に仕立て上げようとしていると訴えました。被害者の二人は白人でした。

 

彼の裁判はよく「世紀の裁判」と呼ばれます。それは殺人事件というだけでなく、「ドリーム・チーム」と呼ばれる彼の弁護士軍団によって「人種差別」へと焦点が移行していったからです。「アメリカは2分された」「国中の白人はシンプソンを有罪と言い、黒人は無罪と言うだろう」とまで言われました。

 

結局シンプソンは、ニコール・ブラウン・シンプソンとロナルド・ゴールドマンの殺人に対して有罪判決を受けませんでした。しかしこの無罪判決は、現在まで何度も議論に挙げられています。

 

裁判後、弁護士の一人は言いました。「一人の地位ある人物を守るために、彼らは家庭内暴力から目を背けた。」

 

 

  事件は終わっていない

 

 

この刑事裁判から3年後、被害者の家族が起こした民事訴訟で、シンプソンは二人の死に責任があると認められました。

 

遺族に3350万ドルの損害賠償を支払うよう命じられましたが、シンプソンにはもう支払う余裕はありませんでした。2007年には、ラスヴェガスのホテルで起こした強盗事件で逮捕されます。

 

NFL時代のトロフィーやメダルなどを売ってお金に換えていたシンプソンですが、4人の共犯者とディーラーを銃で脅し自分の品を取り返そうとして、逮捕されます。禁固33年が言い渡されましたが、結局9年間服役した後、2017年に釈放されました。

 

前述の通りシンプソンは亡くなりましたが、people誌によると、殺されたロナルドさんの父親フレッドさんの代理人であるデヴィッド・クック氏が、シンプソンが民事裁判で決定された損害賠償金を未払いであること、その利息により額が増えたことで(現在1億1,400万ドル以上)、被害者に対する誠実さがないとして、シンプソンの死んだ後のお金の行方を追うと宣言しました。

 

The Guardian 誌によると、米国の家庭内暴力ホットラインは 1-800-799-SAFE (7233) です。

 

 

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