(話の内容にも触れるため、本編を視聴されてから本記事を見ていただければと思います。)

 



0.はじめに

皆さん、こんにちは!

今作監督を務めました半田佳樹です。

この度は『返し歌は飛花の日和に』をご視聴いただき誠にありがとうございます!

おかげさまで公開1日で100回,1週間で200回再生と沢山の方に見ていただけましたクラッカー


(3/26 Xにて投稿)


思えば今年のソメイヨシノは遅咲きで、作品公開の3/20ではまだ蕾でしたね。

それが本ブログを公開する4/13にはまさしく飛花、桜の散っていく頃となりました🌸


今作は5/20まで公開する予定です。皆様のご家族やご友人、そして時間を空けて再度のご視聴もお待ちしております。


さて作品をより楽しんでいただくために、あとがきの場を借りて裏設定などを語らせてください。


1.今作が出来るにあたって

まず知っての通り脚本のベースを書き、仕上げたのは私ではありません(唐突ですね)。

人がせっせと書いた脚本に、この展開なんだけどさ…と横から口出しする何とも省エネな存在が私でした。


元々この作品は、脚本の橋本の「舞台の練習中には様々な面白エピソードがあった。それを書きたい。」というところから始まっています(それらは前半の音響のミスなど、完成版の随所に散りばめられていますね)。

なのでテーマの『終わりがあるからこそ、また始まりがある』というのは着想の段階ではなく、構想の後半で出来たものなのです。


初期案では『主人公(ハココ)が解散公演の千秋楽で、団員達の心に響くアドリブを言って解散を止める』というものでした。何と劇団は解散しません!

ただ「そんな簡単にみんなの心って変わるかなぁ…」と疑問に思いました。


そこで提案したのが『主人公が千秋楽でアドリブを言おうとしていたけれど、やっぱり解散を止めるべきではないかもしれないと思い、悩んだ末に台本通りの台詞を言う』という展開です。この後に劇団は解散することになります。段々と完成形に近付いて来ましたね!


ただこの展開だと、見せ方にはよると思うのですが、結局何も起こらないという事になるので『転』としていささか弱いのかもしれないということになりました。

そこで橋本が考えてくれたのがこれまでの複合タイプ。

『ある団員(こぼちゃん)が千秋楽で解散を止めるアドリブを言うが、主人公が本来の流れに戻す』という展開です。これがラストシーンの完成形となりました。

(この時の台本ではこぼちゃんに『転』の全てを任せていたので、このキャラどう思われるかな…と思っていたのですが最終的に可愛げのあるキャラになりましたね。)


舞台袖で無事録画出来ているか確認する三人

そしてこの画策の中で少しずつ生まれたのが今作のテーマだったのです。

これについては次の項目でも触れたいと思います。


2.タイトルについて

視聴された方から質問が多かったのが『返し歌は飛花の日和に』というタイトルについて。

「どういう意味なのですか?」「単語が分かりません!」

安心してください、私も飛花を知りませんでした(笑)


タイトルにはいくつも意味を込めていて、全てを伝えるのはきっと難しいだろうと感じていました。なのでいっそのこと解説はせずに、自由に考察していただけたらそれで良いかなと思っていました。

しかしせっかく知りたいという質問をいただいたわけですから、ぜひここで解説させてください。


【飛花】

とある休日。

元々橋本が仮タイトル『桜(はな)は散るから美しい』を付けてくれていたのでそれをベースに作ろうと考えていました。


しかし早速「桜という単語は入れたい、でも入れるとどうしても私の頭だと安直なタイトルになってしまう…」というジレンマが発生。

いくら悩んでも進まないので別視点から考えました。


個人的に別の言葉に替えようと思っていたのは『散る』

という言葉。

散ったら落ちるだけで、その先がないというか。ともかく私にはマイナスのイメージがあったので、どうにか代替の言葉が見つからないか調べました。


すると見つかったのが『飛花落葉』という言葉。

意味は『春の花は風に吹かれて飛び、秋には青葉も枯れて落ちる。そのような無常なこの世のたとえ。』とのこと。

これぞ探し求めていた言葉、と清々しい気持ちになったのを今でも覚えています。

意味的には、散る桜も飛花も変わりません。

しかし飛んでいくということはまだ落ちていない。どこに飛んでいくかは誰も、花自身も知らないけれど、それでも『どこか』に向かって進んでいく。

そんなイメージが飛花から読み取れました。


【返し歌(返歌)】

『飛花』を見つけ出す最中に、たまたま見つかったのがとある和歌。

それが、


『散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき』


です。

意味は『散るからこそ桜は美しいのでしょう。つらいことが多いこの世で、何が長く存在するでしょうか。(いや、しないでしょう。)』というものです。


この時点での台本には、中盤おまちが詠んだ『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』の和歌はあったのですが、この返歌は出てきませんでした。

理由は単純で、在原業平が詠んだ『世の中に〜…』は知っていてもその歌に返歌があったことを我々が知らなかったからです(作者は不詳だそうです)。

作中で扱った和歌の返歌に、この作品のテーマと合致するものがあることに驚愕しました。偶然、しかし偶然とも思えないこの和歌との出会いに感銘を受け、この和歌も登場させたいと脚本の橋本にお願いすることになります。


また返歌とは、誰かの着想に自分のそれを即興で乗せて贈る、というものです。

それは劇中最後の、ハココからこぼちゃんへの言葉に他なりません。


また返歌は『へんか』。

物事の『変化』を扱うこの作品にはこれ以上ない言葉だと思い、取り入れる事にしました。


【日和】

日和は時期、それも何かをするのに良い日という意味があるようです(例えば小春日和。ただこれは冬に使う言葉のようですが…。)

花が飛んでいくことに更に前向きのイメージを持たせるために採用しました。

また『ひか』と『ひより』で韻を踏めるというのもあります。



こうして出来上がったのが『飛花の日和の返し歌』!


あれ、ちょっと違わないですか。という声が聞こえてきそうですね。

そうなんです。語呂の関係で返歌を返し歌とすることにしたんです。


すみません、語順が違いますね。

始めは上記の語順だったのです。しかし何というか窮屈な感じがしました。

体言『止め』になっているのが良くないのだと思い、まだまだ文が続くニュアンスを持たせる意味で語順を変えました。

そうして出来たのが『返し歌は飛花の日和に』なのです。



3.テーマについて

度々触れている今作のテーマ『終わりがあるから、新しい始まりがある』。


実は私、元々それに近いテーマで作品を作ろうかなと考えていました。

私はよく「物語のエピローグにはハッピーエンドで終わるものが多いけれど、それはいつまで続く幸せなんだろう」と考えていました。

『私達の未来は希望に満ち溢れている』『仲間を大切にどんな困難も乗り越える』…この気持ちや環境ってずっと続くものではないんじゃないかと。


そこでプロローグにて『輝かしいドラマの終わりという体でエピローグ風の導入』を行い、そしてその後のキャラクターには実は辛い現実が待っている。それをどう乗り越えていくのか。

そんな物語を考えました。

結局この作品は頓挫して書けていません。しかし前述したように、今作『返し歌は飛花の日和に』にはそれに少し近いところがあります。


今回の物語も主人公ハココの、大学生活の終わりから始まっています。映ってこそいませんが、大学の演劇部での活動にもハココには沢山の困難があったのだろうと思います。ものの1分間の登場である演劇部の仲間たちも、きっとハココと苦楽を共にしたかけがえのない存在だったのです。

そうして『ここはハココの演劇部!』という物語はここで完結したわけです(タイトルは今考えました)。


新たなステージに飛び込んだハココに待っていたのは、楽しい時間だけでなく突然の解散という現実もでした。

ハココが凄いのは、そこで苦しみながらも劇団設立という新たなステージへ飛び立ったところです。



結局生きていく上で苦しさからは逃れられません。

先ほども取り上げた返歌にも『憂き世(つらい世の中)』という言葉が入っています。


しかし、もう一度その和歌を載せますが

『散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき』

と、久しい(長い)という言葉を使っています。

つらい世の中で『終わらないものはない』と言っているのではなく『長いものはない』と言っているのです。


つらく、苦しいから皆そのままではいられない。

自分が、環境が、目まぐるしく変化する。

その変化は時に進化であり、そう出来るのが我々人間の真価だと思います。


どこに行き着くか分からない、そして終わることのない変化を、どうか楽しんでください。


このあとがきをもって、作品を観て下さった皆様の気持ちへの返歌とさせていただきます。



2024 4/13

半田