「ワシは猫やからええけど

 ニンゲンはめっちゃアカンやんか?

 町並みだけ、家だけ思たらちゃうやんけ。

 メシも満足に食えん聞いてるで。

 石川県知事何してんねん。

 国がやらんからって放っとくな。

 県で出来んやったら他所に頭下げて助けを乞うてこんかい。

 これやからスポーツバカを持ち上げたらあかんのや。

 他の自治体かて一緒やで。

 どこに住んでてももう他人事やない。

 明日は我が身や。

 日本人は学ばなあかんでホンマ」

 

※Miyagi san,Thanks!

 

能登半島地震の発生から3カ月半以上が経過した石川県奥能登地域では、被災家屋やがれきの撤去をはじめとする復旧作業が遅々として進まず、数万人の被災者が避難所や壊れた自宅、また車中泊などでの生活をよぎなくされている。4月の年度替わりを前後してさまざまな公的支援が縮小されたり、打ち切られるなか、避難所から退所を迫られ、仮設にも入れない多くの住民が身動きがとれない状態にある。被災した住居の修復にも手がつかず、水道管も壊れ水も使えない過酷な状況に放置された被災地の現状と今後の復興のあり方について、本紙はこの間の現地取材をもとに記者座談会で論議した。

住民を離散させる「復興」とはなにか?

A 元日の地震発生から3カ月半以上が経過し、石川県では金沢市から奥能登まで道路はなんとか通行できるようになっている。ただ、現地の人たちが「何も変わらない」というように、本当に被災地の光景は地震直後のままだ。主な道路のがれきが撤去されたり、ガタガタだった道が舗装されて少しは改善しているのだろうが、被災して倒壊した建物はそのまま放置され、あの日から時が止まったような光景だった。

 輪島市では、7階建てのビルが根元から基礎がえぐれて横たわったままになっていた。地震直後に消防が救助活動にあたる様子が何度も放送されていた当時の光景そのままだった。その周辺の家屋もぺしゃんこに潰れたまま。輪島朝市通りの火災現場も、焼け野原のまま放置されている。町並みだけを見ると、とても3カ月が経過したとは思えない。ただ、そんななかを子どもたちが普通にサッカーボールを手に歩いて行くので、生々しい地震の爪痕と生活感とのギャップにものすごい違和感を覚えた。

 発災から3カ月も経てば、がれき撤去のために大量に重機が投入され、ダンプが行き交って砂埃が舞っているような光景を想像していたが、現地で目にしたのは、他県から応援で派遣されて被災家屋の調査をする行政職員、水道工事業者、仮設住宅建設の作業員くらいだった。復旧に向けた慌ただしい空気感がまったくない。

 そんな状態のまま3カ月が経過し、各地に避難していた住民が被災した自宅へ戻って来ている。というより、戻らざるを得ない。もともと市の指定避難所等に避難していた人たちは、その後市外のホテルなどを利用した二次避難所へ移っていた。しかし、ホテルも避難者1人当り1万円の補助でやりくりしているなかで受け入れに限界もある。最近は避難所閉鎖の動きも出始めており、避難していた高齢者たちは次の場所への移転を迫られている。

 一方、仮設住宅の建設は遅れており、住民からは「夏頃までに入居できれば良い方」「抽選なので当たるかどうか、あまり期待していない」といわれる状況。現時点であまりあてにされていない。

 石川県の調査によると、これまでに県内外の宿泊施設に二次避難していた5275人のうち、16日時点で3043人が退所している。このうち、49%が自宅に戻り、29%がみなし仮設へ移っている。そして、仮設住宅に入れたのは全体のわずか8%にすぎない。石川県の把握した数字は、被災者がみずからの情報をネットで登録しなけば数として計上されない。実際には発災直後からの在宅避難者がこの数倍いる。

 そもそも仮設に入居できるのは自宅が半壊以上の住民なので、準半壊や一部損壊では入居対象にすらならない。今後、今いる避難所や二次避難所から退所を迫られる住民は増えていくだろうが、仮設にも入れず、「地元から遠く離れた『みなし仮設』(アパートなどの借り上げ住宅)に住むくらいなら、壊れた自宅に戻る方がまし」と考えて、被災した自宅に戻ってくる人が増えるだろう。

 半壊や一部損壊とはいえ、家の中は傾いたり、戸が閉まらなくなったり、基礎と地盤との間に隙間があるなど、安心して生活できる環境にはほど遠い状態だ。それでも自宅に戻って生活する以外に選択肢がない傾いた床で寝起きし、「普通に生活しているだけで頭が痛くなる」という状態のまま暮らすか、自腹で家を修理する以外ない。そんな余力がある人がどれだけいるだろうか。

 家を修理するだけでも数百万円単位の資金が必要だが、半壊以下は生活再建支援法による支援金の支給対象ですらない。災害救助法で雀の涙ほどの支援があるだけだ。国の支援からも外され、「あとは自分でなんとかしろ」と避難所から再び放り出される。何人もの人が「いっそのこと全壊だった方がよかった」といっていた。

 

         ***(長いので転載ここまで)***