父が血液のがんにかかってしまい…

これからは市外の血液内科のある病院へ通うことになります。

家族のうち誰かが普通に…運転できれば、車で連れていってあげられるのですが。

一家全員…運転が苦手&できない状況です。

父と母は、かろうじて近所を運転できる程度。

子供…姉、私、弟にいたっては運転できません状態。

 

母は「70のおばあちゃんが運転するんじゃなくて、あんたたちに運転して欲しい」

と、ぼやいております。

うん。

その通りだと思います…。

 

思いますが…。

好きで運転できない…ってわけじゃないんですよ~。

と、いう事でまずは私の運転歴を振り返ってみたいと思います。

 

1、困難だった免許の取得

高校卒業の春休み、18歳になったばかりで「(若い)今、免許をとらないと一生取れない」と、父にせかされ、双子の姉と一緒に教習所に行きます。

最初は「免許~?そんなん誰でも取れるでしょ?」と思っていました。

最初に学科を数科目やり、それが終わってから「実際に乗る」ことになったと思います。

担当の教官がつき、はじめて車に乗るとき…

「え?これって自分で運転するの???」

と、驚愕しました、私。

え?なにを言ってる???

と思われるでしょうが。

 

私、実は「自動(じどう)車」というので。

自動車ってのは「自動」で動いてくれる 車 だと思っていたのです~!!!!

本気ですよ!!!

で、なんで免許を取るかといえば、自動で動いてくれる車に乗るために、一応交通マナーを学ぶため。

だと思っておりました。

ええええっ。

頭大丈夫???(大丈夫じゃない!!!)

 

で「乗ってみて。ハンドル握って、アクセル踏んで」

と言われまして、大パニックでした。

「そんなん無理や!!!」って感じで…。

動悸バクバク、脇には汗びっしょり…。

「自動車じゃないじゃん。名前、詐欺だ」

と、思いました。

 

そんな感じでしたので、以後、免許を取るまで…いかほどの苦労があったのか…。

艱難辛苦…でした。

なかなか過程が合格できず、ハンコをうつ欄が…なくなってしまいました。

仮免も卒業検定も3回落ちました。

教官の人から

「あんたは運転、向いていないね」とはっきり言われました。

「子供ができたりしたら、嫌でも運転しないといけなくなるけど…気をつけてね」と言われました。

 

・・・

・・・

 

思い出していたら「こりゃ、運転は私の本質ではないかな~。無理かもなぁ~」

と、いう気持ちが沸き起こってきました。

 

いやいやいや!!!

多分、ここまで運転できないのは、何か、原因があるはず。

それを探して、解放されるのが「今生の目的」のひとつなはず…。

と、前向きに。

 

自分の運転歴、車に対しての考え方、どのようになりたいのか。

これからいろいろ考えていきたいと思います。

 

 

※今朝、Cycleというメタミュージックを聞きながら

「運転に関する囚われを教えて欲しい」と、念じていましたら、

夢の中で母と母方の祖母が出てきました。

祖母の家で、母が風呂に入ったあとで、そのお湯が濁って少なくなっていました。

「これは洗わないとなぁ」と思った夢でした。

母方の血筋、ミトコンドリアに関係する囚われがあるのかも?と思いました。

ミトコンドリアを癒し、愛し、お詫びし、許す、感謝する…瞑想をしていこうかと思います。

 

必要な能力は必要な時に与えられると信じて。

楽しく安全に、車の運転ができるようになりたいです!!!

 

 

 

読んで下さってありがとうございました~

 

ありがとう

 

あいしてるよ

 

ごめんなさい

 

ゆるしてください