最近
いちにちいちにちがぐいぐいすすむ
力を振り絞って日々の足を押しとどめようとしてみても
人間ひとりごときのかよわい力では
成就すること叶わぬ願い
どうすれば良いのだ
君は待てと言ったじゃあないか
年が明けるまで待たせておいてくれると言ったじゃあないか
結末が分かっているからこそ待っていたかったのに
待っている間は幸せだから
待たされていれば
待たされていれば
満たされていなければ
そのうち満たされるかもしれないと夢見ていられるじゃないか
活字の関係では私の感情は見えないとでも言うのか
嘘吐き奴
それでも腹が立つのは
それでも嫌ってしまえない自分自身だ
いやだもう

殺した鴉の死骸を貴様に投げつけたい
めいっぱいの罵詈雑言を浴びせかけてやりたい
でもそんなことをしても意味が無いと知っている

なんにもなくなってしまった
ホリックとフィリアとコンプレックスの間に差はあるのか。
あとマニア。
多分厳密にはあると思うけど
印象としてはあまり差は無い。

個人的には
フィリア系が好きですが。
ヘモフィリアとかハイポクシフィリアとかすごくいい。

ツイッターやってるとブログを別に書こうという気が
段々起きなくなりますね。
別に仕事じゃないからそれはそれで問題無いのだけれども。
要はまとまったテーマの長い文章を書く機会が減る訳で。
ミサカはミサカは現代の若者たちの活字離れによる長文読解能力及び会話表現能力の低下に対する警鐘をならしてみたり。なんて言いつつも実際はそれほど危険視もしていなければ、実のところマスコミによる印象操作なんじゃないかって本音を吐露してみる。
結局ひとそれぞれだよねという危うげなくもそつなく日和った結論を提示してみる私。
だって昔の人の中にもそういうの苦手な人は絶対いたはずだし。
そして言葉の使い方なんて時代と共にどんどん簡略化されていくのは
当然の話なのです。
発音だけではなくね。
何が正しくて何が正しくないかなんて基準は
一定の基本から離れたところでは個人の感性に委ねられていると思わないでもない今日この頃いかがお過ごしでしょうか?

夏目漱石とかの文章で『~的の…』という表現が好き。


そう言えば
一度収まりかけた病が最近になってまた猛威をふるい始めた。
いや、収まってなんかいなかったのかもしれない。
自分勝手な例のあれが。
座右の銘は「女の敵」
自覚があるからなお悪い。
確かに去年の冬ぐらいまではなんとか手綱を握ろうとしていたはずなのだけれど
度しがたき我が暴れ馬は我が手を離れ

かりそめの自由へとその黒き蹄をかけんとしてゐる。
あるいは
我が肩へ留まりし鴉は数多。
かたはしからうち殺してまわれどもその数は一向に減らず。
庭に埋めしそが骸へおもいはせれば
我が肩さらに重くなり、足は止まり口も閉ざし。
そのうちに白き鴉一羽、殺せど殺せど死なずその爪肉に食い込んでゐる。

気取ってみた。

要約すれば
欲しい時に欲しいものが手に入らないという話。

罪科を忘れるはずもなし。
Wizardry Onlineをやりはじめた訳で。

C9もやってるんですけれどね。
ジャンルというかタイプの違う2作品をやるのは
なかなか面白い。
wizで詰んでイラッとしたらC9で蹴散らしてカタルシスみたいな?w
そういう相互補完的なスタンスで進めていこうかと。
まぁあれです。
別に私は廃人じゃないよ!
ゲームは一日・一日中!みたいな廃人生活を送っている訳ではないので
大学もあるしね・・・。
ちなみにどっちのゲームでもCNはちりふきなので
見かけたら声かけてください。
逃げます←

最近面白かったこと~
習ってきた数々の言語の中で奇妙に一致している単語は
名前
ってこと

日本語:namae
英語:name
サンスクリット:naama
ドイツ語:name

とりあえず。
まぁ果たして日本語と一致しているのは偶然なのか分かりませんが。
残りの3つは当然ですね。
印欧語族に含まれる、印欧祖語を祖先に持つという種族の仲間だから。
その中でも英語とドイツ語は双子みたいなものだし。
ゲルマン系という意味では。
ラテン語とギリシャ語も調べてみよう・・・。