体言止め万能説。



やはり2か月も休みがあると日々の感覚がおかしくなるようで
はやくも9月は下旬にさしかかろうとしております。
なんということだ!
高校生までのように長期休み中の宿題地獄なんてものとは
もはや無縁な訳だけれども
それでもやはり休みの終焉には絶望を感じざるを得ません。
「やらねばならないこと」がまたどんどん目の前に列をなしておしよせてくるので。
うううう
そんなにいっぱいできないよぉ・・・おにいちゃん・・・。
とでも涙目で言っておけばきっとどこかの誰かがなんとかしてくれる!
きっと!
まぁ
冗談はおいておいて。
『やりたいこと』が『やらなければいけないこと』に変質するのは
一体どういうタイミングなのでしょうね。
その途端手を出したくなくなるというのも困りものだが・・・。
やんなきゃいけないとは言え自分が望んだことだろうと
思ってもなかなか出来ないのですよ。
人に言うのは簡単ってね。

漫画「デスレス」の延寿おじいちゃんがアララギ君にしか見えない件w
しかも同じく謎のモテキャラだし。
・・・描いたなキサマ!

髪の毛が目に入るようになった。
いたい

大体半年に一回くらい
地元に帰った時には切っているので
今年は帰れなかったから。
いたい
というか鬱陶しい。

というか。
気分が塞ぐ。
気が滅入る。
なんだろう
何かしなければいけない自分に気が滅入る。
けれどもしなければいけないというぐらいなのだから
それはしなければならない訳で。
基本的にしてもしなくても大して何も変わらない事柄で一杯の
この世間において
なにかせねばならんと言う状況になるのは大体シチュエーションが
固定されている。
だから詳しく言わなくてもそれなりの想像は出来る。
たまに本当に想像もできないようなことで
落ち込んでいる人間もいるけれど
そういうひとの相手をするのはもうやめた。
想像できないひとの痛みを分かったような顔をして
頷いて
取り繕って
会話をしようとしている自分が嫌いだ。
ので。
うん。
嫌いなんだ。私は。

人間は現在性の生き物なのだなんて言う私は
結局現在を直視できずにいる。
昨日か明日に想いを馳せて
逃げ続けることしか出来ていない。
ついたあしあと、つけたあしあとを見るよりも
いまからつける地面を見ろだなんて
偉そうに。

嫌いなのだ。
うん。
仙台珈琲館
なんてね。


最近自己顕示欲が強まってきている私です。
なんとか他人に認められたいという思いが重い。
自分でももてあましている。
いや、創作にぶつけろよって話ですが。
ぶつけてるもん。

今まで自分に出来ない事なんか何もないと
信じて生きてきたために
誰かよりも自分が劣っているってことを認めることが非常に苦手なのです。
だからこうして
文芸サークルなんて入った日にはもう、ね。

まず誰かに自分の作品についてあーだこーだと言われるのが
苦痛でたまらない。
きっと適当な意見もあるんだろうけど。
取り入れるべきなんだろうけど。
なんであんたにそこまで言われなければならないのよ!
と思ってしまうからいけないね。

まぁなんにせよ
あやはたこそ至高。
あやはた最強。