とある人から、こんな質問をいただきました。


高校の担任ができることは限られている
というのはどういう意味ですか、と。


私は、小学校の教員と高校の教員は、ある意味ではまったく違う職業であるような気がしています。
小学校では、6歳から12歳までの子どもに対し、多くはクラス担任がすべての授業を持つ。
ここで子どもが学ぶは、人間として生活していく上での多くのスキルではないかと思うのです。
コミュニケーションスキル。善悪の判断力。道徳。常識。社会で生きていくための多様な経験。読み書きそろばん。
こういったものって、多くの時間を接している担任の先生であるからこそ、そしてまだまだ未成熟な人間が相手だからこそ、教育として成り立つのだと思います。

一方高校では、相手は自我が芽生えた人間に対し、担任は一日15分しか接しておらず、あとは授業だけ。
授業は当然教科担任制。
自ずから担任と生徒が接する時間は短くなるし、生徒は生徒で教師の言うことになんか耳を傾けなかったりする。
高校の「担任」が為すべきは、生徒の自立を促すことだと私は思っています。
自分の将来を考えたり、高校での生活に自覚的になったり、友達関係を考えたり、その他なんでもある種の勉強。
だけど、これらは教師から教わるものではなく、自分で考えるものです。

もちろん、昼休みに教室の様子を見に行ったり、HRの前に様子を見たり話をしたりしますが、やはり40人相手に限られた時間のなかでコミュニケーションをとるのは非常に難しいです。
だから何もやらないという意味ではなく、生徒に「生きるヒント」を与えられるような距離感を探っているというような感じでしょうか。
そういう意味で、学級日誌への教師のコメントだったり、何気ない連絡事項の中だったり、教室掲示だったり、そういうちょっとしたところで、生徒が何かを考えはじめるきっかけ作りができないかなぁと、私は常々考えています。
無論忙しくてなかなか実行できなかったりしますけどね。
「ああしなさい、こうしなさい」からではない学びをしてくれたらと思っています。
もちろんHRのなかで「これを考えなさい!」ということもありますが、徒労に終わったとしても、教師から提示をし続けることだけはやっていきたいと思っています。
「教師の仕掛け」に対するアクションを直接的に期待するかしないか、そういう意味では、小学校と高校は違うような気がしているのです。
(まぁ、私が教育者でありながら教育の成果に対して穿った見方をしてるのもあるのかもしれませんが)


といっても、生徒は予想以上に「ガキ」です。
高校生も小学生も、そんなに変わらないかもしれない。
でも、大人への移行期間である高校生に為すべきことは、小学生に対して為すべきこととは違うんだろうと、それは間違いのないことだと思っています。
(そして、高校生をある種「小学生扱い」する勤務校のやり方に疑問を抱くこともあったりします)

そして、だからこそ、「担任」も大事ですが、私は何より「授業」を大事にしようと思っていたりします。