世知辛い世の中になったもんです。


今日NHKで教師が追い詰められている、なんて特集が組まれてました。
半分納得、半分はどうかなぁと。


なんというか、世の中の「おおらかさ」がなくなってきている気がする。
いいことかもしれないし、悪いことかもしれない。
よく言えば「おおらかさ」。
悪く言えば「いい加減さ」。


生徒が怪我しました。
ちょっと前→ウチの息子がご迷惑かけて申し訳ありません。
今→ウチの息子が怪我したのは学校の安全管理が不十分だからだ。賠償しろ。


ラグビーなんか、怪我してナンボ。
怪我を恐れずプレーするからこそ、得られるものがたくさんあるはず。
でもそんなのやってる人じゃなきゃわからない。


確かに、規則にのっとって、かちっとやるのも大事なこと。
いわば法家の思想ね。
だけど、規則は規則として、現実にあわせて柔軟に対応することも大事な気がする。
規則規則に縛られることは、結局一番大切な目標を見失うことにつながるのだから。


今日のHNKの特集では学芸大の小林先生が出てました(社会科教育の小林先生ではありません)。
そりゃ先生にもいろんなひとがいて、いい加減な人もいれば、まじめすぎて追い詰められていく人もいる。
保護者にもいろんなひとがいて、学校に理解がある人もいれば、学校をここぞとばかりに追及しようとする人もいる。


「おおらかさ」が社会全体から失われてしまったのだとすれば、学校はかちっと規則どおりの対応をせざるを得ない。
だって、ちょっとでも外れたことをすれば、揚げ足を取られて、追及されて、裁判にされて、やめさせられてしまうのだから。
規則でなくたって、親に「気に入らない」と思わせてしまったら、もうアウト。
結果、親の目を気にしながら、親に怒られないようにしながら、ほんとはおかしいとおもいながら、萎縮しながら、子どもと接しなくてはならなくなってしまう。


今私は高校生を相手にしてますが、想像以上に家庭への電話連絡の機会が多い。
理由だって、「今日まだ学校にきてないようですが」「今日お休みだったので、明日の時程の確認を」「頭髪の指導で嫌気が差しているようですが、家庭ではいかがですか」…
お前は小学生か!!とも言いたくなる。


よく言えば、決め細やかな指導。家庭との綿密な連携。
悪く言えば、親からクレームきたときに何も言われないための、言質を取る。


「おおらかさ」がなくなったことによって、教師は子どもをどのように育てるか、ということよりも、いかに親からクレームをもらわないか、ということを気にせざるを得ない。
確かに、かっちり規則どおりは大事だよ。大事だけど。


これは学校でやりましたよ、というアリバイづくり。
親からクレームつけられたときのための、アリバイづくり。


ちょっと悲しい。
これって、教育なのだろうか。
アメリカの電子レンジ猫を思い出してしまう。







世知辛い世の中になったもんです。