どんぐりんさんの疑問にお答えして、今日は先史時代の時代区分について、私なりの理解をお話ししたいと思います。


「原始時代」というのは、「先史時代」と同じような時代区分だと思います。

「先史時代」とは「書かれた歴史がない時代」、つまり無文字社会のことですね。

何らかの形で文字になった史料が残っている時代とは研究の方法が全く違います。

考古学中心の時代、とでもいいましょうか。


その「原始時代」ないし「先史時代」のなかに、「旧石器時代」「縄文時代」「弥生時代」の3つの区分をイメージしています。


まず、「旧石器時代」から。

旧石器時代は、今から約1万年前よりも昔のこと全般のイメージです。

つまり列島に人間が住みついてから1万年前までですね。

その名の通り、旧石器=打製石器を使っていた時代のことです。

使っている石器による時代区分ですね。

当時は最後の氷河期にあたっていますので、海退の結果大陸とも陸続き、マンモスやオオツノジカなどの狩猟が中心だった時代です。


次に「縄文時代」です。

縄文時代は、旧石器時代との関係で言えば、「新石器時代」ということになります。

つまり、磨製石器を使っていた時代です。

一方で縄文時代という名の語源にもなっているように、縄文土器が使われていたというのも縄文時代の大きな特徴です。

紀元前4C~3Cくらいまでのイメージでしょうか。

温暖化の結果、列島が大陸から独立するとともに、マンモスなどの大型獣が姿を消します。

その代わりに木の実が採れるようになったり、小型の獣(ウサギやシカ)が獲れるようになったり、魚をとる技術が発達したりします。

道具もそれに応じて、矢が発明されたり、木の実を粉にする石皿、それを煮炊きするための土器、丸木船なんかが遺跡から出土します。

つまり、狩猟、採集、漁労を中心にした獲得経済、これが縄文時代のイメージです。

昨日も書いたように、竪穴式住居に住み、小さな村を形成して暮らしていたようです。

一方で抜歯の風習や土偶の出土など、マージナルな文化が根付いていたことが指摘されています。


最後は「弥生時代」。

ひとつは弥生土器が使われるようになったことで縄文時代との時代区分をするもの、もうひとつは稲作の開始をもって縄文時代と区別する考えがあります。

当然時期にややずれがあり、私としては後者の立場のほうがより説得力があると思っています。

縄文時代から原始的な農耕が行われていましたが、渡来人によってある程度完成された稲作文化が移入されたことが大きな変化をもたらしました。

出土する道具がそれに応じて大きく変化していることはもちろんですが、人々のくらしも大きく変わります。

高床式倉庫に代表されるように、余剰生産物の確保ができるようになります。

また、農業を組織的に行うにはある程度の協業が必要になります。

共同体内での協業の必要性と、余剰生産物や水利、耕地をめぐって、争いも起こるようになります。

ムラからクニへ変化していったのがこの時代でしょう。

同時に、共同体のリーダーシップをとる必要から、身分の差が生まれてきたことも指摘されています。

そのなかでもっとも有名なのが、3Cの卑弥呼の邪馬台国でしょう。


おおざっぱに説明しましたが、以上のように、時代区分の基準は必ずしも統一されているものではありません。

本当はもっと機能的に時代区分をしなきゃならないんでしょうが、ある程度共通の物差しとして通用してしまっているので、この言葉を使わざるをえません。

この辺が、子どもの歴史認識を混乱させる原因になるんでしょうね。

一応以上述べたようなことは授業で説明しましたが、子どもにどこまで伝わっていたんでしょうか…?

子どもなりに自分の納得のいくかたちで理解してくれていると良いのですが。


もし以上の歴史認識について、何かおかしいところなどありましたら、教えてください。