「日本らしさ」って、ほんとに「日本」らしいことなんでしょうか。

まずこのことを検討してみたいと思います。

ちょっと長くなりますが、ご容赦ください。


またまた、monoyaomouさんの記事から引用を。


「はしを使う。」

はしを使うのは日本だけじゃない。韓国でも使うし、中国でも使う。日本でずっと使われつづけてきたのは事実だろうけど。ネットで検索してみると、どうも中国から伝わったらしい。むしろ、東アジア共通の文化なのでは?


「漢字かな混じり文を用いる。」

かな文字を発明したのは確かに日本人。でも韓国でもハングルと漢字とを使っているはず(日本ほど漢字文化が普及してないが)。そもそも漢字は中国の文化。


「和食のご膳を食べる。」

いつから「和食」っていうようになったんだろう。たぶん「洋食」が入ってきて初めて「和食」っていうジャンルができたのでは?それまでは中国やオランダから入ってきた食文化も、普通に同化されていただけだと思う。一見「和食」っぽい「てんぷら」がもともとポルトガルから伝わったという説があることを考えれば一目瞭然。昔から、しょうゆや、味噌や、いろんな調理法を発明して、いろんなものを吸収して、それが今に残っただけの話。「和」と「洋」を分ける発想自体が近代の思考の産物。


「謙虚さを美徳とする。」

ほんとかよ。ホリエモンがあんなに支持を受けてるのに(笑)。だいたいほかの地域の人たちは謙虚じゃないの?こういうこと言ったら、日本はいい人、あいつらは謙虚じゃない悪い人、みたいだし。「謙虚さ」が日本のオリジナルなんて、到底思えない。下手したら、「武士道」みたいのだって、近代になって作られたイメージかもしれない。忠君愛国、みたいな。それを時代劇が助長。そんなに潔くない武士の話、けっこう聞くもん。


「折り紙が折れる。」

これはどうなんだろう?よくわからないが、これまたネット情報によれば、中国から伝わってきたものらしい。今でも中国で「折り紙」ってあるのかなぁ?確かにこれは「日本的な文化」なのかもしれない。


「手先が器用である。」

「謙虚さ」よりうそっぽい。だいたいこういうの、経験的にでさえわからない気がする。どうやって実証するんだろう。こういうのって、文化に規定されるものなの?


「勤勉である。」

よくアメリカとかから「働き蜂」なんて形容されるよね。たぶん他の地域の人から見たら、そう見えるんだろう。でもこういうふうに見えるのって、「日本人」だけなのかな?勤勉じゃない人は「日本的」じゃない人たちなんだろうか。中曽根の発言を思い出す。


「和服を着る。」

確かに。着物ってきれいだよね。でもチマチョゴリもきれいだし、サリーもきれい。


「家紋がある。」

パクリの家紋多すぎ。家紋てそんなに身近かな?日本にしかないの?


「入浴が好きである。」

風呂ぐらい、他の地域でも入ります。湯船につかる、という行為は、日本独特の文化かもしれない。トルコ風呂、とか、勉強してみると面白いよね。


「お茶が好きだ。」

けっこうみんな好きだ。中国人だってイギリス人だって。最近イギリスでは紅茶の人気が落ちて緑茶(日本茶)が大ブームらしい。


「空手や柔道・剣道などの武道がある。」

確かに。韓国にはテコンドー、タイにはムエタイがある。何か関係はあるのかな。


「家にたたみがある。」

確かに。他の地域ではこういうのないのかな。聞いたことはないけど。他の地域ではどうやっているのだろう?なんで学校にはたたみがないの?いいものだったら全部たたみにすればよいのに。



日本的なものって、案外いいかげんだと、私は思います。

日本が好きだから、日本のことを美化したくなる、そういう発想のかたまりなんじゃないかと穿ってみたくなる。


いいものは、もちろんいい。

でも、それを「いい」として教えるのって、単純すぎるんじゃないでしょうか。

いいもの=日本、というイメージ、こういう思考に慣れるってことは、逆に悪いもの=北朝鮮、中国、イラク、という発想に近づきやすいってことだと思います。

そうやって、言われていることを単純に鵜呑みにして、イメージを作り上げること、これが現在の情報化社会において一番こわいことだと思います。


他のものと比べてみたり、歴史を見てみたりすることで、もっともっとその文化の本質に近づくことができるのだと思います。

もし疑いがあるものならば疑いの目を向けて考えればよいし、正しければ、そこではじめて認めればよい。

何かある「常識」ないし「情報」があって、それを自分なりに検証し、考察を加えること。

それが教育で担うべきことなのではないかと思います。

その先、そのことが「好き」「嫌い」「いい」「悪い」という判断は、子どもに委ねればよいのではないかと思うのです。

「日本人」が「日本的な文化」を大事にしてきたのは事実でしょうが、その本質を見極め考えることが、授業においては大事なのだと思います。


だから常に、ひとつの立場からものを見せるのではなく、複数の眼からものをみることのできる力をつけてあげたいと思っています。

そのためのひとつのツールとして、歴史教育が存在しうるのではないか、と。

中学生を相手にしていると、彼らなりの価値観で「決めつけ」ていることがよくわかります。

その「決めつけ」は、いろいろなことを知っていてそう判断しているのではなく、なんとなくのイメージで考えてしまっている。

おそらく、テレビやインターネット、ゲームといったメディアの影響が大きいのでしょう。

社会科の授業では、そうした「決めつけ」を打ち破って、また自分なりの価値観を再構成できるような、そんな授業になるように、日々努力しています。



初めて「投稿の予約」機能を使ってみました。

明日少々忙しいので更新できなさそうなので…。うまくいってよかった。