今日は中国文明について軽く触れた後、稲作の伝播、そして旧石器時代、縄文時代、弥生時代という変化を扱いました。
「歴史教育と国家」の記事でも触れましたが、子どもには「国家」による思考の束縛から脱してほしいと思っています。
そのためには、「日本」という枠組みがあたかも昔から連綿と続いているかのような認識を打ち破らないといけないのです。
そのためには、本時の内容は結構扱いに慎重にならざるをえません。
今日の展開で言えば、四大文明の話から「日本」の話に移る際、
「じゃあ日本では農業や文明がどうなっていったか見ていこう」と言ってしまい、あわててあとからフォローを入れました。
曰く、「日本といっても、当時から日本ていう国があったわけじゃないからね。あくまで日本列島のことだから。」
う~ん、自分で聞いてても苦しい言い訳ですよね。
そもそも、日本列島のことのみをやるのはやっぱり「日本」というナショナリティへの何らかの束縛があるのでしょう。
学習内容が国民国家に束縛されていることの好例でしょう。
先日も書きましたが、「現在」が「歴史」を規定している。
とはいえ、ここに住んでいる以上、日本を前提にした歴史認識は絶対に必要です。
自分の思考だって、日本を前提にしています。子どもはなおさらでしょう。
「国民の歴史」に対して、自分自身非常にアンビバレントな感情を抱いています。
ただ、少なくとも、自分の発想が「日本」ということにいかに縛られているかということを、子どもには気づかせてあげたいと思っています。
でも、そういうことに気づかせるための課題なり発問なりって、すごく難しい。
検討課題にしたいと思います。