試験を採点していて、子どもから学ぶこともたくさんあります。
例えば、昨日の記事にあった問題で、「縄文時代は移住社会、弥生時代は定住社会」というような解答がありました。
授業では、旧石器時代はもっぱらマンモスやオオツノジカなどを獲っていたので、簡単なテント形式の小屋に住む移住社会、縄文時代は「獲得」の対象になるものが増えた(温暖化に伴って、獣の小型化、木の実の採集、海進による漁撈文化の発達など)ため、ひとつの場所に定住できるようになった、というように教えていました。
しかし、縄文時代を移住社会とする解答がけっこう多かったので、自分の授業の仕方に間違いがあったな?と反省してみたりするとともに、縄文時代は本当に移住社会じゃなかったのか?とも考えてみました。
竪穴式住居や共同の墓地の存在、土器の存在などは、おそらくそれほど広範囲には移動していないだろうということが推察できます。
マメ類やエゴマ、クリなどを栽培していたという話もあります。
しかし、狩猟・採集・漁撈中心の生活であるということは、本当に獲るものがなくなってしまえば移動せざるを得なくなります。
また、竪穴式住居は遺跡として残りやすいですが、テント式の小屋は遺跡として残りにくいでしょうから、ひょっとしたら竪穴式住居の村を拠点としながら、ある程度の範囲で移動していたことも考えられます。
この辺は自分の勉強不足を痛感しました。
いずれにせよ、弥生時代になって稲作文化が定着すれば、ある一箇所で定着しなくてはなりませんから、縄文時代よりも弥生時代のほうがより定住的な文化だということはできるでしょう。
(当然生産力は高くないですから、相変わらず狩猟・採集も重要な位置を占めていましたが)
いってみれば、旧石器時代から弥生時代への変化、移住から定住への変化の過渡期にあるのが縄文期の文化といえるのかもしれませんね。
いかに「移住→定住」という図式が単純化されすぎていて、多くの事柄を捨象してしまっているか、ということがわかります。
その一方で、網野善彦の考えなどを借りてくれば、縄文時代から交易に携わっていた人や土器を専門に作る人々がいたとされており、そのように考えると、狩猟・採集だけが縄文時代の特徴ではなくなるわけで、「移住」「定住」の問題自身の構造が問い直されなければいけないのかもしれません。
それに「移住→定住」という図式自体が農耕中心史観だという指摘もありそうです。
そういった意味では、子どもたちに実感のなさそうな遊牧民の生活を取り上げてみるのも面白いのかなぁとも思います。
とまぁ、子どもの解答からいろいろなことを考えてしまいました。
いわゆる「原始時代」も、こんなに考えることがあって面白いんだ!と改めて感じました。