以前お話しましたが、では、正答のない問いの代表的事例はなんでしょうか。
私は千葉の高校の先生である加藤公明先生の実践がそうなのではないかと思います。
加藤先生の実践では、子どもが資料をもとにしながら歴史的事実を再構成していく過程を、討論を通じて行っていきます。
ひとつ例をあげると、加曾利貝塚の犬、という実践があります。
加曾利貝塚から出土した犬の全身骨格の写真を子どもに提示し、犬だけが全身骨格として(つまり骨がバラバラにならない状態で)出土するのはなぜか、と問います。
子どもたちからは、番犬説、ペット説、犬神説、食用犬説など、いくつかの意見が出ます。
その意見ごとにグループを作り、自分の説を論理的に説明できるように準備します。
そのうえで討論。
お互いの意見に対して質問したり、質問に答えていきます。
そして最後、どの説がもっとも説得力があったかを投票します。
この「問い」には、正答は存在しません。
歴史学的に学説が分かれていますが、そうでなくとも、お互いの論理性や資料性を批判していくことによって、科学的な思考力を育成していくことがこの授業の肝要なところです。
これらの作業をとおして、縄文時代のイメージをもつことができるし、資料だけでなく自分の生活経験も動員されそれらが総合化されるし、グループで意見を集約していくというコミュニケーションスキルも育成できます。
ただ教師の求める「正答」を追求していくのではなく、自分なりの意見を表明し、お互いに研鑚しあうことで、より深い歴史認識を獲得できるのではないかと思います。
【参考文献】
加藤公明『わくわく論争!考える日本史授業』1991 地歴社