この記事はmonoyaomouさんのブログの記事「国語の授業で「気持ち」を問うな2」 を参考にしています。
まずはmonoyaomouさんの記事を引用させていただきたいと思います。
>悟空の気持ち。承太郎の気持ち。両さんの気持ち。ルフィの気持ち。・・・
>何度も読めば、「だいたい」は分かるんです。それを、いちいち聞かれたら、気持ちがなえませんか?せっかく面白い話なのに。
>それよりも
>「悟空が一度地球を壊してまた復活させたやり方は、いいやり方だったと思いますか?」
>という発問の方が優れていると考えます。
>作品全体を見渡して、技の種類、登場人物の置かれている状況などをじっくりと、深く読んでいく必要が出てきます。
>討論の中で、主要人物や、一般の地球人の心情にも必然的に迫っていくことでしょう。
>「何巻、何ページ、何行目、何コマめに、こう書いてあります。」
>と。
これって、歴史教育としてはすごく面白いと思うんですね。
歴史上のある人物ないし社会の選択がよかったかどうかということを問うことによって、「社会全体を見渡して、技術や文化、歴史上の人物の置かれている状況などをじっくりと、深く読んでいく必要が出てきます」から、科学的・論理的思考力を育成できるとともに、さまざまな知識を課題を中心にしながら結びつけることができます。
あまりちゃんとは勉強していないのですが、アメリカの歴史教育はそういうスタイルだと聞いたことがあります。
ただしやはり問題点や留意点もあると思います。
ひとつは「よいか悪いか」を問うときに、どの立場に立って論じればいいのかが不明確になりがちではないかということです。
誰にとっての善悪を判断すればよいのか、個人の立場に立つのか国家の立場に立つのか、などなどいろいろ考えられるでしょう。
それらがごっちゃになって議論することも大事ですが、それらを整理して議論することも大事だと思います。
問題点としては、そもそも歴史的事象に対して、「善悪」を判断することが適切なのかどうかということも挙げられるかと思います。
同じ何かを考えさせる授業にしても、因果関係を問うたり、歴史的評価を問うたり、さまざまな形がありうると思うのです。
歴史の「if」に踏み込んでしまうかもしれないこの手の発問は、歴史教育の文脈においては考えなければならないところがあるのでしょう。