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おびえたまま死んでいた9人
何が探査隊を死に追いやったのか?
この事件は1959年2月
当時のソ連領ウラル山脈で9人が死亡したことで知られた事件である
9体の遺体のうち5体は全裸で発見され
他の3体の遺体は致命傷を負い目や舌がなかった
彼らの肌はオレンジ色になり放射線が検出された
さらに遺体はすべて恐怖におびえた表情で発見された
1954年1月28日
イゴール ∙ ディアトロフを中心に10名の探査隊が構成された
探査隊の多くはウラル工科大学の所属であり
全員が長距離スキー旅行や山岳遠征の経験を有していた
探査隊はウラル山脈を過ぎて
オトルテン山を登った後
2月12日 ヴィジャイに戻る計画を立てた
登山当日の1月28日
探査隊の一員であるユーリー・ユーディンは突然熱と頭痛を訴え始めた
症状が悪化し, 彼は探査を中断してヴィジャイに戻り
残りの9人だけが計画通りに登り続けた
5日後の2月1日
大雪が降って悪天候が続くと
一人でヴィジャイに残っていたユーディンは
心配で探査隊に無線を打った
間もなくディアトロフから返信が来る
「ホラート・シャフイル山の尾根にテントを張った」
「9人とも無事だ」
これにユーディンはほっとしてしまった
それが彼らとの最後の連絡であることを知らないまま···
2月2日から探査隊との連絡が途絶えてしまい
帰還予定日の2月12日になっても探査隊は戻ってこなかった
結局、2月20日から
ヘリコプターや航空機を投入した救助活動が始まった
救助を始めてから1週が過ぎた2月26日
救助隊は探査隊のテントを発見した
テントは雪に埋もれていて中には彼らの荷物があった
テントは鋭い物体によって引き裂かれていた
内側から引き裂いたような痕跡だった
テントの下の方向にはもつれた足跡が残っていた
裸足と推定される足跡が森に向かっていた
救助隊はテントから約1.5キロ離れた森で2人の遺体を発見する
2人とも裸で髪の一部が焼けていて手足をやけどしていた
おかしいのは2人ともおびえた表情で死んでいたということだ
救助隊はその周辺でさらに3人の遺体を発見した
彼らも靴さえまともに履けない状態で極度に恐怖におびえた顔だった
残り4人を探すのには雪崩によってさらに2か月を要した
2ヵ月後
救助隊は森から75メートルほど離れた渓谷で4体の遺体を収拾した
彼らは4メートルの深さの雪の下から発見されたが外傷が非常に深刻だった
ディアトロフは右拳に傷がついていて、他の3人は頭蓋骨や肋骨を損傷していた
この中に目や舌のない遺体もあった
探査隊員たちの肌はオレンジ色に変わった状態で
彼らの服からは高レベルの放射能が検出された
疑問点の多いこの事件は当時の状況を知っている全員が死亡してしまったため
何があったのか何が彼らを死に至らせたのかだれもわからなかった
結局この事件はミステリー事件として残り、
彼らのリーダーであったディアトロフの名前から
ディアトロフ峠事件と呼ばれるようになった
事件があまりにもミステリアスなせいでいろんな仮説があった
核実験、原住民の攻撃宇宙人の侵攻、毒キノコによる幻覚など
しかし、一様に信憑性に欠ける仮説であり
結局2020年7月
ロシア連邦の最高検察庁は最終的に「雪崩による死亡」だと結論付けた
唯一の生存者ユーリー・ユーディンはこう言った
「私が神様に質問する機会がたった一度でも与えられたら
『その夜、いったい私の友達に何が起こったのか』をぜひ聞きたいです」
ホラート・シャフイル山
(マンシ語で「死の山」の意)
つまり死の山で探査隊と共に消えてしまったあの日の真実
果たして探査隊は何のため恐怖におびえたまま
死を迎えることになったのだろうか?