昨年から今年に放送された虎ノ門ニュースの年末特番の中で、科学者の武田邦彦教授が、とても哲学的なことを言っていたので、備忘録的に記載します。

 

 

科学において事実を認定するときは、理由を言ってはいけない。

事実だけを見てじっと我慢する。事実の理由を問うと事実が崩れてしまう。

なぜならば、「なぜ」を納得しない人が事実を認めなくなるからである。

 

 

このことをもう少し深く考えてみたいと思う。

答えがでたら、追記します。

さっきまで、逃げ恥を見ていました。

 

一言でいうと、原作を忠実にドラマ化するというよりは、

脚本家の野木さんの脚本が攻めた内容であったということ。

 

見ていて、お腹いっぱいということも感じた。

 

夫婦別姓問題、育休問題、LGBT、女性らしさ、男性らしさ、親世代の固定概念、そして、極めつけはコロナ問題である。

 

それらの現代の問題を、「こんな問題がありますよ」と、主人公に代弁させていることは、そういうドラマがあっても良い。

 

でも、ガッキーや星野さんのもっと「子供を迎えることによる内面の成長についての表現」を期待していた私は、「通常の生活のありがたさ」を星野さんに言ってもらうことが、なぜがしっくりこなかった。

 

それは、自分でも、よくわからないので、モヤモヤしている。

 

確かに、2時間半のドラマで、前作の空気感を維持しつつ、これらの多くの現代における社会問題をサラッと取り込んだ野木さんの脚本はすごいと思う。

 

あと、このドラマでは、コロナ収束後の世界をイメージさせることをサラッと取り込んでいることもすごいと思った。

 

ガッキーがマンションに帰るシーンで、お二人ともあえてマスクをしていないシーンを盛り込んだのは絶対意図的だと思う。

 

あれだけ、マスクをつけたシーンを見せられた後に、あえてマスクなしのシーンを持ってきたのは、コロナ収束後の世界をほんわりとイメージさせる為だと思う。

 

コロナで疲弊している人たちを元気づけたいというTBSと野木さんの意思を明確に感じたドラマであったと思う。

 

そういう意味では、流石は「ドラマのTBS」であって、「攻めてるな」という感想です。

 

 

 

◆ 第8の習慣からの学び

 

 

刺激と反応の間にはスペースがある。

そのスペースの中に、反応を選択する私たちの自由と能力がある。

そしてその選択の中に、私たちの成長と幸福がある

 

刺激と反応の間のスペースは人によって大きさが違う

 

惜しみなく愛情を注がれ、周囲から温かく支えられて育った人なら、多くの場合、スペースはとても大きいはずだ。

 

そうでない人の場合は、遺伝的要因や環境の制約によってスペースは小さくなっているだろう。

 

しかし大切なのは、いずれにせよそこに選択の余地があるということだ。

 

そして、それを生かすことによってそのスペースは広げることができる。

 

刺激と反応の間に大きなスペースを持つ人でも、逆境にあって逃げる道を選ぶとしたらスペースは小さくなってしまう。

 

逆に小さなスペースしかない人でも、遺伝的・社会的・文化的な制約に負けずに歩む道を選べば、自由が拡大し、成長が加速し、幸福感が深まって行くのがわかるはずだ。

 

つまり、スペースを広げることによって、選択の自由が拡大して成長が加速して幸福感が深まる→ということが「わかる」。幸福感は成長していることを実感すると深まることになるということ。

 

前者のような人は、生まれながらにして与えられた貴重な天性を生かそうとしないのだ。そしてみずからの選択ではなく状況に左右されるようになってしまう。

 

一方で後者のような人は、つまずきそうになりながら長く苦しい努力をする必要があるかもしれないが、それも選択の自由というかけがえのない天性を生かす。

 

そしてこの自由によってその他のあらゆる素質が花開くのを発見するのである。

 

つまり、人は与えられた環境や遺伝的要素に関係なく、刺激と反応の間のスペースを広げる努力をすれば、自由を得ることができ、その自由によって、自分の成長を確認でき、そのことが、幸福感を深めることになるということ

 

かな?