久々に読書 | キモオタぼっちの日記

キモオタぼっちの日記

平成9年産の車好きで機械弄りと音楽鑑賞、アニメが大好きです。
適当に何かつぶやきますので宜しくお願い致します

こんばんは。

Amazonである本を買った
元レーシングドライバーの太田哲也さんが書いた「クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間」という本だ。

なぜ買ったのかと言うと仕事の人間関係に追い詰められ、一人で仕事をしていく孤独感と恐怖にも追い詰められ、何とかしなきゃと思い太田さんの本の存在を思い出し急遽Amazonで買ったのです。

本書のあらすじ

1998年5月3日、全日本GT選手権第2戦が富士スピードウェイで行われた。

ローリングラップ中に天候変化によりペースカーがピットロードに戻らず更に1周ローリングラップが追加された。

その時の天気は濃霧で視界は最悪な状況だったが先導するペースカーの時速は160km近く、何台かのGT300のマシンがスタートと勘違いしてしまい、後方では多重クラッシュが起きてしまう。

彼の前を走っていた910号車のポルシェが前のマシンに追突。

エスケープゾーンへ逃げた太田選手のフェラーリに激突して爆発。

彼のマシンは激しく炎上をし、ホームストレートを跨いで停車。

しかし、オフィシャルは砂子選手の救助を優先した為、太田選手は燃え盛るマシンに1分近く取り残されたのだった。

その時、RE雨宮所属の山路選手が彼のマシンを消化したのだ。

彼は当たり前のことをしたと語っている。(ビデオオプションより)

しかし、太田選手は救急車ではなく、富士スピードウェイの機材車でサーキットの医務室に運ばれ、フジ虎ノ門病院に搬送される。

「72時間の生命」と言われ、顔と体の40%に最重度の熱傷(火傷)と診断される。

更に肺にもダメージを負う。

そして、熱傷の治療の専門医がいる東京女子医大に搬送され緊急手術を受ける。

その後、意識は回復するも錯乱状態が起きたり、崩壊した顔を見て絶望し、自殺すら試みたりするも、病院の屋上には自殺防止用の金網があり死ぬことさえも許されなかった。

そんなある日の事、彼はコーヒーを飲みながら夜中にあの事故の映像を見る。

すると、新たな自分の誕生に立ち会えたのだった。

そして、彼は生きる意味を探し、治療を続け新たな人生を描くのだった。

ちなみに、本の中では最終的にサーキットに復帰するというところまでは書かれてなかったが富士スピードウェイまで車でドライブする様子まで描かれてました。

感想

彼は辛い治療、精神的にも肉体的にも苦痛を乗り越え復活したのだが

それが実現出来たのは家族の絆や治療をした医者や看護師、レース関係者等の思いからだろうか。

それに比べ俺なんて

なんだ俺の困難は生ぬるい!苦痛でもなんでもない!

と思ったのだ。

そうさ

何があっても生きよう

今回はここまで。m(*_ _)m