YouTubeで「感動のアンビリバボー炎の中のレーサー」を見ました。
この事故は1998年のJGTC第2戦で起きた。
雨で視界不良の中、ペースカーが2週目になっても離れなかったので何台かのGT300のマシンがスタートと勘違いをしてしまう。
そして、ポルシェがクラッシュ。
太田選手の話によると「正面衝突を避けるためわざとスピンさせた」
そして、ガソリンタンクむき出しのポルシェとフェラーリが激突して大爆発したのです。
その時、真っ先に救助に向かったのは
なんと!山路慎一選手だったのです。
彼は開幕戦鈴鹿で太田選手に幅寄せされてクラッシュしてリタイアに追い込んだにも関わらず、マーシャルより真っ先に救助に向かったのです。
救急車は太田選手では無くて、ポルシェの砂子選手を優先したのです。
太田選手はなんと!機材の1BOXカーで搬送されたようです。
あまりにもお粗末な対応に山路選手ぶちギレたようです。
瀕死の重症を負った太田選手は地元の病院で応急処置を受けた。
事故から3日後、東京の病院に搬送されて緊急手術を受ける。
その時、全身に大火傷を負ったのと肺にもダメージを受けてて重度の肺炎と感染症に感染したようです。
事故から10日後に意識は回復。
その後、23回にも及ぶ再建手術を受ける。
事故から3年後の2001年にサーキットに帰って来た。
俺は、彼のドキュメンタリーを見て勇気づけられました。
何より家族の愛と生きると言うことや、辛い治療や成果の出ないリハビリを乗り越えられた彼自身に勇気づけられましたのです。
今回はここまで<(_ _)>