11歳差のこの子は、一緒に成長した私の「弟」。
末子の私を「姉」にしてくれた、「姉」としての私を育てた、かけがえのない存在。

だけどいつしか「弟」のはずのこの子は、駆け足で老いていった。
私を追い越し・・・母をも追い越し・・・やがて祖母に追いついた。
娘の成長を見守り、娘がやっと小学校へ通いだす頃、気づけばうんと老いたこの子が居た。
はじめは困惑した。
目が見えなくなった時はそんなに悲しくなかった。
犬は目が見えなくても関係が無いように器用に家の中を歩き回る。
目や毛が白くなる「老い」とは違い、歩けない・立てない「老い」は、どうしても”終わり”を連想させる。

この子の気持ちを無視して泣いた。
だけど気づいた。この子が一番つらいのだと。
気づいてからは楽しんだ。そうしたら更に愛おしくなった。
一日一日を楽しんだ。
一分一秒を大切にした。

やがて自分の心をある感情が満たしていることに気が付いた。
深い、深い、底なしの愛。無償の愛。
・・・この子は私が生んだんじゃないかしら・・・
そう思いたくなるほどに愛おしかった。

この子と暮らした時間の中で、最も幸せだったのが、最後の介護の一年間。
もちろん、ずっと最高に幸せだったけど、最後の一年間は特別な時間。
喃語を話す我が子の言葉を、母親だけが聞き取れるように、私はこの子の要求をほとんどわかってあげることが出来た。
私とこの子の心が、最も強くつながった一年間。
だからこの子が天使になった今、もちろん喪失感はあり、寂しいけれど
一度強く繋がった私の心とこの子の心は、お互い引き合うと思うから、私はこの子の帰りを信じて待ってる。

愛犬の老いに困惑しているあなたへ再び・・・
以前、介護中に「老いに困惑しているあなたへ」という記事を書きました。
その中で「今のMackさんは正直もう、何年も一緒に居られないのはわかってるから
だったら思い出したときに良いことばかりのほうがいいし、記憶の中のMackの顔も、落ち込んでる顔より、ニコニコのほうがいい。」
という言葉を書きました。
介護を”老衰”で終えた今、もう一度強く思います。
思い出した時、楽しい思い出ばかりでよかった。
記憶の中のMackの顔は、笑顔ばっかりだな。って。
勿論、イライラする日もあります、人間だもの。
だけど、そんなときはブログにぶちまけてしまえばいいんです。
皆応援しています。あなたが悩めば共に悩み、喜べば共に喜ぶ。
一人と錯覚しがちだけど、一人じゃないんですよ。
いつもお疲れさまです。あなたもあなたの愛犬も、とってもよく頑張っていますね
奥村來未としてライターをしています
今日は昔お家にいた猫の話を書いてみました。

今日は「猫の話をしようか」をclick

犬を飼うということ
そして
猫の話をしようか
二つのサイトが連携しています。

☆ランキングに参加しています☆

