おはようございます。
おかげさまで体力回復!元気になりました。
それでは、昨晩の続きを…
僕らを待っていた奇跡は、本当にありがたいものでした。
どこにも行く宛てが無いままシャッターの降りている新橋の繁華街を歩き続け、
疲れ果てて緑のある広場で一休みしようと、たまたま向かった時…
そこにあったのは「港区立生涯学習センター」でした。
区民の避難所となっているところでした。
何でもいいから情報が欲しかった僕らは、多くの人が居るその入り口に立ちました。
ですが、そこにはもう500人以上が非難していて宿泊は無理。
再び諦めかけた僕らに、区役所の方が言ってくれました。
「ここから15分位離れたところに、もう一カ所避難所があるよ。
そこに今から行くから、よかったら一緒に行きましょう!」
もう答えは一瞬で決まりました(笑)。
「はい!お願いします!!」
初めての夜の新橋の道を、最後の力でどんどん歩きました。
助かった事が嬉しくて、僕が犬だったら尻尾をどれだけ振っていた事でしょう(笑)!
ビルの合間からまさかの東京タワーが見えた時、区役所の方は言いました。
「この先の御成門小学校が避難所になっているんです。ここはまだまだ受け入れは
余裕があるから大丈夫ですよ。」

いつもよりタワーが輝いて見えました。
捨てる神あれば拾う神ありとはこの事か…?
それから間もなくして僕らは小学校へ到着し、名簿へ記入後、
毛布と絨毯・飲み物とご飯を頂きまして、広い食堂フロアへ案内してもらいました。
※もちろんそこも宿泊用にアレンジされていました。
まだ150~160人の方しか非難されていなかった為、お互いのスペースは余裕を持って
とることができたのです!
本当に幸運でした。

歩き続けた末、やっと0:15am.になり床に座る事ができました。
一応これはヘバっている姿であります↓

その後ご飯を食べて、TVで東北地方の惨劇を目の当たりにし悲しくなりつつも、
やはりまさかの毛布で寝れる安心感に眠気が襲い…
浅い眠りに入ったのでした。
一旦、おやすみなさい。
1:30am.就寝…

その後、地震警報やらで何度も起きつつ、6:00am.過ぎに朝食用のご飯を
職員の方から配給して頂きました。
まいちも寝てる時はうなされてたけど、起きたら大丈夫みたい。
よかった。とりあえずは安心です。
2人で相談した結果、JRが復旧した7:00am.をメドに浜松町から京浜東北線を利用し、
帰宅することにしました。
準備をして廊下に出ると、昇降口の方で職員の方々がもう働いておりました。
本当にお世話になりました!

皆さんに感謝をして外に出ると、前日の震災を忘れるくらいの晴天でした。

港区立御成門小学校で救って頂いたご恩を、僕らは二度と忘れる事は無いでしょう。
ありがとうございました。


そこから東京プリンスホテル横を通り…

芝公園で有名な増上寺を通り…

無事7:35am.にJR浜松町へ到着することができました。
でも踏切の不具合等、まだまだ首都圏の交通網は復旧してはおらず…
結局自宅へ辿り着いた時には、お昼を過ぎていました。
ただ、やっぱりようやく無事に帰って来れた時は嬉しかったです!
帰り着いたら夕方まで爆睡しちゃいました。
帰宅時に近所で見た今年初の桜が、ちょっとだけ疲れを癒してくれました。


あの日、本当は朝に岩手県盛岡市へ行くはずだったのです。
前日に「やっぱりゆっくり行こう」と14:40pm.発の新幹線に切り替えたものの、
最初の予定のままだったら確実に地震の時間には盛岡で震災に遭遇していた訳で…
そう考えたら、この偶然に命を救われたのかも知れません。
東京での偶然にも本当に感謝です。
ニュースで報道された東京国際フォーラム等、大型の避難所は毛布も間に合わなくて
ただただ朝まで椅子で待っている方も沢山いました。
それ以前に、電車から出れずに夜を明かされた方、駅の改札等の外で
夜を明かされた方も沢山いらっしゃいました。
そんな中で、僕らは朝まで安心して寝れる暖かい環境を確保できたのです。
先祖様が救ってくださったのかな?
ずっと今もニュースを見ています。
避難所での体験をした事で、より被災地の方々に対して本当に心が痛みます。
どうかこれ以上の苦しみが増えないよう、ただただ祈るばかりです。
ぐっちさんのブログにもありました。
http://ameblo.jp/gucci-room/
本当に被災地へ向かってくれる救助隊に対して、「どうか安全に救出をお願いします」と、
僕も彼らの活躍を願っています。
以上、2011.3.11~12にかけての、ゆうの体験でした。
震源地が太平洋沖とはいえ、地元東北での史上最悪の大震災。
ひたすら祈り、自分に行動できることを考えている次第です。
Luv/Yuichi/Peace..
おかげさまで体力回復!元気になりました。
それでは、昨晩の続きを…
僕らを待っていた奇跡は、本当にありがたいものでした。
どこにも行く宛てが無いままシャッターの降りている新橋の繁華街を歩き続け、
疲れ果てて緑のある広場で一休みしようと、たまたま向かった時…
そこにあったのは「港区立生涯学習センター」でした。
区民の避難所となっているところでした。
何でもいいから情報が欲しかった僕らは、多くの人が居るその入り口に立ちました。
ですが、そこにはもう500人以上が非難していて宿泊は無理。
再び諦めかけた僕らに、区役所の方が言ってくれました。
「ここから15分位離れたところに、もう一カ所避難所があるよ。
そこに今から行くから、よかったら一緒に行きましょう!」
もう答えは一瞬で決まりました(笑)。
「はい!お願いします!!」
初めての夜の新橋の道を、最後の力でどんどん歩きました。
助かった事が嬉しくて、僕が犬だったら尻尾をどれだけ振っていた事でしょう(笑)!
ビルの合間からまさかの東京タワーが見えた時、区役所の方は言いました。
「この先の御成門小学校が避難所になっているんです。ここはまだまだ受け入れは
余裕があるから大丈夫ですよ。」

いつもよりタワーが輝いて見えました。
捨てる神あれば拾う神ありとはこの事か…?
それから間もなくして僕らは小学校へ到着し、名簿へ記入後、
毛布と絨毯・飲み物とご飯を頂きまして、広い食堂フロアへ案内してもらいました。
※もちろんそこも宿泊用にアレンジされていました。
まだ150~160人の方しか非難されていなかった為、お互いのスペースは余裕を持って
とることができたのです!
本当に幸運でした。

歩き続けた末、やっと0:15am.になり床に座る事ができました。
一応これはヘバっている姿であります↓

その後ご飯を食べて、TVで東北地方の惨劇を目の当たりにし悲しくなりつつも、
やはりまさかの毛布で寝れる安心感に眠気が襲い…
浅い眠りに入ったのでした。
一旦、おやすみなさい。
1:30am.就寝…

その後、地震警報やらで何度も起きつつ、6:00am.過ぎに朝食用のご飯を
職員の方から配給して頂きました。
まいちも寝てる時はうなされてたけど、起きたら大丈夫みたい。
よかった。とりあえずは安心です。
2人で相談した結果、JRが復旧した7:00am.をメドに浜松町から京浜東北線を利用し、
帰宅することにしました。
準備をして廊下に出ると、昇降口の方で職員の方々がもう働いておりました。
本当にお世話になりました!

皆さんに感謝をして外に出ると、前日の震災を忘れるくらいの晴天でした。

港区立御成門小学校で救って頂いたご恩を、僕らは二度と忘れる事は無いでしょう。
ありがとうございました。


そこから東京プリンスホテル横を通り…

芝公園で有名な増上寺を通り…

無事7:35am.にJR浜松町へ到着することができました。
でも踏切の不具合等、まだまだ首都圏の交通網は復旧してはおらず…
結局自宅へ辿り着いた時には、お昼を過ぎていました。
ただ、やっぱりようやく無事に帰って来れた時は嬉しかったです!
帰り着いたら夕方まで爆睡しちゃいました。
帰宅時に近所で見た今年初の桜が、ちょっとだけ疲れを癒してくれました。


あの日、本当は朝に岩手県盛岡市へ行くはずだったのです。
前日に「やっぱりゆっくり行こう」と14:40pm.発の新幹線に切り替えたものの、
最初の予定のままだったら確実に地震の時間には盛岡で震災に遭遇していた訳で…
そう考えたら、この偶然に命を救われたのかも知れません。
東京での偶然にも本当に感謝です。
ニュースで報道された東京国際フォーラム等、大型の避難所は毛布も間に合わなくて
ただただ朝まで椅子で待っている方も沢山いました。
それ以前に、電車から出れずに夜を明かされた方、駅の改札等の外で
夜を明かされた方も沢山いらっしゃいました。
そんな中で、僕らは朝まで安心して寝れる暖かい環境を確保できたのです。
先祖様が救ってくださったのかな?
ずっと今もニュースを見ています。
避難所での体験をした事で、より被災地の方々に対して本当に心が痛みます。
どうかこれ以上の苦しみが増えないよう、ただただ祈るばかりです。
ぐっちさんのブログにもありました。
http://ameblo.jp/gucci-room/
本当に被災地へ向かってくれる救助隊に対して、「どうか安全に救出をお願いします」と、
僕も彼らの活躍を願っています。
以上、2011.3.11~12にかけての、ゆうの体験でした。
震源地が太平洋沖とはいえ、地元東北での史上最悪の大震災。
ひたすら祈り、自分に行動できることを考えている次第です。
Luv/Yuichi/Peace..