北の嶺のブログ

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自分と推しとのかかわりについて、自分にとって都合のよい解釈ばかりしていないか──

そう自省したのは、今更ながらに養老孟司『バカの壁』を読んだ時だった。

人の頭は、自分で理解したいようにしか理解しない。それどころか、言葉で話しても通じないことだってある。そんな「バカの壁」を、ガチ恋と称する自分の思考のうちに見いだしたのだ。

ここでことわっておくと、一般的にガチ恋と呼ばれる感情・推し方すべてに対して何か物申すつもりは毛頭ない。オタクの数だけ、ガチ恋とは何かという定義があるだろうからだ。他者と比ぶべからず、敵は常に我が内にあり、と信ずる。

誰かと交際したことのない自分にとって、恋愛とは、ガチ恋とは、その定義はあやふやだ。ただ、自分を理解し肯定してくれる異性を欲し、その人のために力を尽くすことという、ぼんやりとした輪郭しかない。そんな曖昧模糊とした恋愛観の中で、自分のことを細事にわたって覚えていてくれ、肯定的な評価を与えてくれる存在は、まさに理想的な「恋人」であった。

他人との会話では「現実を分かっている」オタクを装う。「それはファンサである」「自分はあくまで客にすぎない」と口走る。事実、それは意識的に考えている論理だ。しかし無意識的な領域では、違うことが脳裏をよぎる。これは恋愛感情で、今展開されているのは疑似恋愛──だと、錯覚していた。そんな都合の良い妄想が、私にとっての「ガチ恋の壁」だった。

しかし、本当のところ、それは恋愛とは違うものではないか。ここで冒頭に戻る。自分の頭で創り上げた相手の反応を期待して、甘えてばかりではいけないのではないか。

30歳手前にもなってようやく論語を通読し、少しの文学作品に触れて、多少なりとも冷静に考えるヒントを与えられた気がする。しかし、かくのごとく、自分の思考について見つめ直し、真剣に生き方と向き合うきっかけをくれたのは、推しからである。そして、推しを通じて知り合えた、ファンそれぞれの真摯な姿からでもある。もし推してなければ、またはその存在を知らなければ、いつまでも自らを省みることなく、消費者として何かを消費することに専念していたように思う。

事務所移籍やアニメ虹ヶ咲放送から3周年、すなわち私がその活動を追い始めてから3年が経とうとしている今、楽しみの中でも、生き方を再考する手がかりを得られた。心より感謝するところである。

折しも来月にはソロアーティストデビューという大きな節目を迎える。本人のための曲が多く制作され、表現する舞台や方法はさらに増加し、ファンとしては、ソロアーティストという新側面から出る作品に対する解釈を進め、応援していくこととなろう。私も、表現者としての躍進を見届けていくこととなるはずだ。

表現者へのリスペクトを抱きつつ、そのさらなる活躍に励まされながら、自分は自分の分際をわきまえ、自分の土俵において、何らかの成長を遂げたいと思う。

このたび、推しとともに温泉宿での宿泊を伴うバスツアーという、ファンとしては垂涎もののイベントが開催された。私としても、多少の経済的無理を押してでも参加したい内容であった。しかし母からの報せで、高齢の祖父がつい最近まで、病のため入院ののち退院したとのことで、快復したとはいえ、可及的速やかに見舞う必要性を強く感じた。2年前に父方の祖母を亡くした時は、コロナ禍もあり、しばらく元気な姿に会えない中でのことだったから、その反省もある。孝行とは無縁の放蕩生活であったために、なおさら、元気なうちに会うべきと考え、帰省することを選んだ。

1年前の自分であれば確実に"病んで"いた選択だが、今は、イベントが終始楽しそうな雰囲気で進行され参加者が満足そうで良かった、と捉えることができている。

今後も、新局面を迎える推しを、少しでも応援なり、援護射撃に資する何かができればと思う。射撃といっても下ネタじゃないです()

まぁそんな思いで、この帰省中の私は祖父をはじめ親族や旧友にできる限り再会しながら、地元の美味いもの・魅力を再発見していければというところです。