☆☆☆☆★

 

1995年公開。

古い映画だし、ながら見でもしようかと思って見始めたら、ハマった。

中谷美紀主演というのは知ってたけど、それ以外は事前情報なし。

刺さりました。

これは誰の立場で見るか、どういう角度で見るかで、見え方も感想も変わってくるのではないでしょうか。

中谷美紀演じるホテトル嬢「キョーコ(仮)」が失踪し、その足取りを追いかけるエピソード。キョーコ(仮)の関係者にインタビューしつつ、彼女の足跡を辿るんだけど、それでキョーコ(仮)の過去が明らかになるわけでも、彼女の輪郭がわかるわけでも、失踪の理由がわかるわけでもない。ただただキョーコ(仮)を追いかける男達が空回りし続けるだけの映画。

いろいろな事が明確にされず、曖昧なまま物語が始まり、ストーリーが進むにつれてそれが解き明かされる映画はいくらでもある。しかし本作にはそれがない。最初に明示されたキョーコ(仮)のスペックなりデータは、それほどアップデートされない。与えられた情報は

・ホテトル嬢

・壁の欠片をお守りにしている

・天真爛漫

・直情的

物語としては、失踪したキョーコ(仮)を知る人達へのインタビューから始まる。謎と言えば、ホテトル嬢として売れっ子で絶大な人気を誇っていたというわけでもない一人の風俗嬢の失踪を、なぜ取材しているのかというところから始まるかな(笑

まぁ取材を始めたのはテレビ局の下請けの制作会社っぽいし、前に作った番組の延長で時間のある時に取材している、って事らしいのは途中でわかるんだけど。そこに絡んで、熱心に協力する、と言うよりもほぼキョーコ(仮)捜索の中心になっていくのがオガタ。うだつの上がらないサラリーマンなんだけど、彼がキョーコ(仮)の客で彼女に入れあげてどうしても彼女ともう一度プレイしたい、というのなら動機としてはわかる。しかしそうではない。彼はキョーコ(仮)を見かけただけで、何の接点もない。であるにもかかわらず彼は、彼女と会って話しをしたいという気持ちに駆られて、彼女の捜索に主体的に参加する。それは、執着よりも執念に近い。無関係の彼をそこまで駆り立てるのは何なのか?これはとても感覚的なものなので、理屈でわかる問題ではないわなぁ。私は、そこにシンクロしてしまいました。

さらにキョーコ(仮)捜索に関わる、オガタの後輩。彼もキョーコ(仮)とは無関係。それなのにオガタと共に積極的に参加します。取材していたメディア会社の社長も最初は「無駄なことやってんじゃねぇ!」と否定的でしたが、いつしか積極的にオガタと行動を共にするようになります。

キョーコ(仮)とは、人を惹きつける魅力があるのか?魔性の女なのか?そういう設定ではありません。ただただ精一杯、今を生きる女性でした。自分の気持ちに、感情に正直に生きる、同じくらいみんなの事も大切に想う優しい女性でした。

キョーコ(仮)が風俗嬢になる前の職場が発覚するエピソードがあります。映画館の受付で、同じ職場に恋人がいたのですが、彼に言わせると彼女は「仕事は真面目だけど何を考えているのかわからない、表情の読めない女性」だったとか。それでも直情的な部分は変わっていなかったようです。その頃は「壁の欠片」をお守りとして持ってはいなかったとの事。前職と風俗嬢になるまでの間に何があったのでしょうか?そしてお守りとなった「壁の欠片」とは?

実は、彼女はお守りの「壁の欠片」をベルリンの壁のものだとは言っていません。タイトルの「BeRLin」によるミスリード、そして作中に登場する人々が勝手に「壁の欠片」=「ベルリンの壁」だと思い込んでいるだけなのです。そして実際、物語の途中で「壁の欠片」って、ベルリンの壁のものなのか?という疑問が差し挟まれます。こうなると、ベルリンの壁と彼女の関係性を思考してきた「土台」自体が揺らぎます。彼女のお守りがベルリンの壁ではないとしたら、そこにイデオロギーや信念や思考性がないとしたら、彼女がお守りにしている「壁の欠片」ってなに?というさらに難解な問題が起こってしまいます。

中盤から登場するキョーコ(仮)の恋人ですが、積極的に彼女を探そうとするわけでもない歯切れの悪い彼によって、彼とキョーコ(仮)の関係性が語られ、新たなキョーコ(仮)の一面が垣間見えます。

また、トラブルに巻き込まれて命を落とす風俗嬢のエピソードから、キョーコ(仮)もまた同様に以前、命に関わるトラブルに巻き込まれた事があり、風俗嬢の過酷な仕事の実態が描かれます。

結果的に、キョーコ(仮)を追いかけた男達はひたすら空回りするだけで何も手にできず報われず、男達に巻き込まれて協力させられた恋人だけがキョーコ(仮)に再会できたというのは、イマイチすっきりしませんが。

結末はさておき、そこに至るプロセスはなかなか身につまされるものでした。恋というか、他人への興味というのは、結局そういう事なんじゃないのかな、と思います。そこにエネルギーをかけられる人は、やっぱりそれなりに熱量を持っている人達だと思います。ただ、それがいつも報われるわけではなく、空回りすることの方が多いのがリアリティがあるし、共感も抱きます。

何も解決していないし、何も明らかにされていないし、見ている方もキョーコ(仮)に振り回されたなぁと思うけど、それでもいいかな、と思える可愛らしいキョーコ(仮)を中谷美紀さんが好演していました。

エンドロールで知ったけど、監督は利重剛。利重剛かぁ、彼ならこういう映画を作るよなぁ、と妙に納得。オガタ役にダンカン。のっぺりとした表情で女性に縁がなさそうな印象なだけに、その必死さが鬼気迫って説得力がありました。巻き込まれる映像会社社長が山田辰夫。チンピラっぽくて粗雑なのに、いつの間にかキョーコ(仮)が気になって仕方がない感じが狂気を連想させて面白い。恋人役が永瀬正敏。若い!

映像の見せ方も上手くて、キョーコ(仮)のシーンはカラーで、それ以外のシーンはモノクロで描かれていました。魅力的な女性だけが色を持つ、という事なのか?それとも彼女だけが「現実」だという事なのか?

キョーコ(仮)が、今を生きている全ての人々に「頑張れ、頑張れ」とエールを送るシーンが何度か登場します。他人を思いやる存在、それが彼女なら、やはり彼女は天使なのか?女神なのか?映画館の受付から風俗嬢に至るまでの間に何があったのか?「壁の欠片」とは何なのか?やはり興味は尽きません。しかし、それは語られることなく終わります。それでも良いのです。「俺はこれだけ頑張っているんだ」とアピールするよりも、自分のことはさておき、頑張っている人を認める事のほうが私は大切だと思います。私自身もそういうタイプだから。だからこの映画に共感するのでしょうね。