☆☆☆★★
2021年公開。
難しい映画でした。単純に「面白い」とは言ってしまえないし、観た後に爽快感のある映画でもないし。ただ、とてもよく考えられて作られた作品だとは思います。原作はあるらしいのですが、原作が素晴らしいのか、監督が素晴らしいのかは置いておきましょう。私は映画でしか評価できないので。
とりあえず概要だけおさらいしておきましょう。17歳で出産したリナ(芳根京子)は新生児を置いて失踪。19歳、場末の怪しい劇場で踊っていたリナはエマ(寺島しのぶ)と出会います。エマは死体を生前の状態で保存するプラスチネーション技術の第一人者。それは死体に命を吹き込む技法で、親しい者や愛しい者との死別を受け入れられない人々に癒やしと希望を与える芸術的かつ革新的な技術でした。エマの死体保存技術に心酔したリナはエマに師事し、エマがCEOを務める企業でその技法を学びます。一方でエマの弟のアマネ(岡田将生)は、死体を生前の状態で保存することは、真に死を克服した事にはならないとエマを否定し、不老不死の技術開発を進めます。やがて不老不死の技術に一定の目処が付いたアマネはエマを追い落とし会社を自分のものとします。エマに次ぐ実力者となったリナは、エマの後を継いでプラスチネーション技術を極めますが、アマネと恋仲になり、アマネと共に不老不死施術を受け、自ら広告塔となり商用サービスを展開します。順調に見えた事業でしたが、中には遺伝子異常を起こして一度止まったはずの老化が再発する症例が発覚、しかもアマネにも老化が始まり、やがて亡くなります。30歳のまま生き続けるリナは、やがてアマネの精子から女児・ハルを出産します。不老不死事業の傍ら、自然のままに歳を取って亡くなっていく人達のために「アマネの庭」という老人施設を開設し、福祉にも力を入れます。アマネの庭にリヒト(小林薫)という男性と、その妻(風吹ジュン)が入居してきます。妻は末期ガンで余命幾ばくもなく、最後の時を不自由なく過ごさせたいというリヒトの願いでした。しかしリヒト自身は施設には入居せず、町での生活を選択します。リナには心を開かないリヒトでしたが、ハルを通して交流を深めます。そしてリナは気づいてしまうのでした、リヒトは17歳の時に置き去りにした息子だと言うことに。歳をとっていく息子と、30歳のまま止まってしまっているリナ。妻を看取ったリヒトもまた、リナの前から姿を消します。135歳となったリナは、老人の姿でした(倍賞千恵子)。永遠の若さを放棄し、老いることを再び選択したリナは、娘と孫に囲まれ風に手を伸ばして、何かを掴みます。
とにかく、芳根京子と寺島しのぶの演技力が圧巻でした。正直な話し、最初リナが芳根京子だとは気づきませんでした。今までの役のイメージとは全然違いました。寺島しのぶは単純に仕事の出来るクリエイター、企業の有能なCEOという顔だけではなく、プラスチネーション技術に固執する情念の女が鬼気迫る演技で、とても説得力がありました。ネタバレですが、彼女は同性パートナーを亡くしており、その女性を永遠に自分の隣に置くためにプラスチネーション技術の完成に邁進していたようです。結果的に志し半ばで会社を奪われ、恋人を完成させることが出来ないまま、彼女に寄り添いながら自らにプラスチネーションを施すという、狂気とも倒錯とも取れる結末、永遠の愛を成就する純粋で情熱的な結末を迎えました。
プラスチネーションにしても不老不死にしても、現在の死生観を越えた場所にある話しで、それ自体に共感は出来かねます。ただ、それでもやはり人間が不老不死に憧れる気持ちを持つことは洋の東西を問わず、永遠のテーマであることは否定できません。プラスチネーション技術もまた、死を否定する方法の一つなのかもしれません。最近、死んだ猫を供養するのではなく剥製にして手元に残したいという女性のマンガを読みました。同じように亡くなった近親者を生前のまま手元に残したいと思う人がいてもおかしくはありません。私は理解できませんが。そういう意味では死生観の多様性というものを考える機会にはなるのかもしれません。亡くなったアマネの手をプラスチネーション技術で保存して展示し、それにハルが「パパ、おはよう」と語りかけるシーンは寒気を感じましたね。現代の常識からすると、かなり歪んだ死生観という気がします。これが近未来のお話しなのか、別次元のお話しなのかはわかりませんが。
ただ、作品の中でリナは結果的に年老いて死ぬことを選択します。自然に逆らう技術を手にしても、最後に人間の行き着く先は「死」なのでしょうか。数分の演技ではありましたが、年老いたリナを演じた倍賞千恵子さんの演技は素晴らしく「全部持って行かれた」感がありました。