☆☆☆★★

SF映画の古典・猿の惑星の平成版をまとめて観ました。
昭和版の猿の惑星はあまりにも有名なので、今更ネタバレもへったくれもないでしょうけど、自分のためにおさらいしておきます。
地球を飛び立った宇宙ロケットが、ある惑星に不時着します。そこは猿が支配する星で、人間は奴隷として扱われていました。猿達は言葉を有し、知性と文明を持っていますが、人間は言葉も話せず、粗暴で野蛮という地球とは真逆の立場。宇宙飛行士達は捕らえられますが、温厚なコーネリアスとジーラによって、生き残ったテイラーは解放されるのですが、浜辺で朽ち果てた自由の女神像を見つけてこの世界が遠く遙か未来の地球であることを思い知らされるのでした。
このラストシーンは衝撃的で、長年話題となった有名なシーンです。宇宙旅行と時間旅行、そして異種知的生命体との接触など、SF映画の要素が豊富に詰め込まれた名作です。
「続・猿の惑星」では、地下で生き延びるミュータント化した人類が登場。猿と戦い、最後にはコバルト爆弾によって地球そのものが消滅してしまいます。
「新・猿の惑星」では、地球消滅直前にテイラーの宇宙船で地球を脱出したコーネリアスとジーラが、地球消滅の衝撃によって過去の地球=テイラー達の時代の地球に漂着し、第1作とは真逆の展開になります。一時は知的生命体として歓迎された二人でしたが、未来の地球が猿の惑星になると知った人類から敵視されるようになります。二人は人間の理解者によって脱走、サーカスに身を隠して子供を出産します。二人は追っ手に殺されてしまいますが、子供はサーカス団の他の猿に紛れて難を逃れるのでした。
「猿の惑星・征服」では、前作の小猿が成長してシーザーという名を得ます。奇しくもこの時代には、猿の能力を向上させて労働力として用いる技術が確立されていました。奴隷の猿達に紛れて身を隠していたシーザーでしたが、あまりにも横暴な人間達の振る舞いに感情を爆発させてしまいます。この時、まだ猿は話すことができなかったので言葉を発するシーザーはコーネリアスとジーラの子供であるとバレてしまい追われることに。人間の理解者に助けられたシーザーは猿達を組織して反乱を起こすのでした。
「最後の猿の惑星」は、シーザーの反乱から核戦争に発展し、結果的に人類は破滅して猿が地球の支配者となります。生き残った人間は奴隷となりますが、シーザーはあくまで人道的な対応をします。人間に憎悪を抱くアルドーはシーザーへの反乱を画策、これに気づいたシーザーの息子を殺してしまいます。「猿は猿を殺さない」掟を破ったアルドーは粛正され、人間の理解者のアドバイスにより猿と人間は良き理解者となるのでした。

これを踏まえての平成版。
まず旧作で最大の話題であり見所であった「猿の惑星に来てしまったと思ったら、実は未来の地球だった」というタイムパラドックスを使った衝撃的なトリックはなくなりました。荒唐無稽なSFというよりも、「科学技術の誤用による、あり得るかもしれないデストピア」といった感じ。
アルツハイマー治療薬の開発実験中に、動物実験で使われたチンパンジーが高い知能を得てしまいます。しかし最初のチンパンジーは実験中に自分と子供を守るために人間に襲いかかり殺されてしまいます。この高い知性は小猿にも受け継がれ、研究者のウィルは彼を引き取りシーザーと名付けて自宅で育てます。親子のように生活するウィルとシーザーですが、ウィルには認知症の父親がいました。シーザーの成功から開発薬ALZ112はアルツハイマーに有効と確信したウィルは、父親を助けるために秘密裏に父親に投与します。父親の病状は改善し、ウィルには恋人もできて、全てが上手くいったかに思われたのですが・・・。父親の体にALZ112への抗体ができ、効果がなくなってしまいました。病状が悪化した父親は隣人とトラブルになり、彼を助けようとしたシーザーは凶暴な猿として保健所に送られてしまいます。保健所の所員による虐待を受け、シーザーは人間への不信感を募らせます。それまでのボスを倒して自分が保健所のボスとなり、ゴリラとオランウータンも味方につけます。一方ウィルは、父親のためにより強力なALZ113を開発します。施設のチンパンジー・コバに投与したところ、実験は成功。ウィルは慎重な臨床試験を提案しますが、功を焦った所長によって事故が起きます。実験中にガスマスクが外れてしまいコバに追加投与しようとしたALZ113を所員の一人が吸ってしまいます。それ以来、その所員は咳が出るようになり、血を吐くようになりました。猿での実験には成功したものの、人間にとっては猛毒だったのです。それを知らないウィルは父親に投与しようとしますが、父親はこれ以上薬で生きながらえるのはごめんだというように首を振り、静かに息を引き取るのでした。一方でウィルは保健所を抜け出してALZ113を盗みだし、保健所の猿達に投与します。引き取りに来たウィルにもシーザーは猿達と生きていくことを告げて、これを拒否。知能を身につけた猿達と保健所を脱出して、人間社会に別れを告げます。研究所を襲い、仲間の猿達を従えシーザーが向かったのは、かつてウィルに連れて行ってもらったアメリカ杉の生い茂る森。多くの犠牲を出しながらも人間達の追っ手を振り払い、シーザーは人間と隔絶した猿達の社会を作るのでした。

続いて「新世紀」。ALZ113は「猿インフルエンザ」と呼ばれ、あっという間に世界に蔓延し、人工のほとんどを失いました。一方で猿達は独自の進化を遂げ、文化を構築しています。生き残った人間達は小さなコミューンを作り、猿とは無関係の生活を送っていたのですが、エネルギー問題を解消するために猿の生活圏内にある水力発電所を動かさなければいけなくなりました。理知的なシーザーは、猿社会を尊重する人間のマルコムを信用して作業を受け入れます。しかし、人間の中にも反猿派がいるように、猿の中にも反人間派がいます。それぞれの軋轢がやがて表面化し、諍いへと発展します。コバはシーザーに忠誠を誓うふりをしながら、人間を容認するシーザーに不満を募らせクーデターを目論んでいました。人間の中にも隙あらば猿を駆逐しようと武装を固める者がいます。不信感が不信感を呼び、それぞれの火種に火をつけます。コバは人間が襲ったかのように偽ってシーザーを狙撃し、これを口実に人間のコミューンを襲撃します。人間も猿を迎え撃ちますが、その激闘のさなか、真実を知ったのはシーザーの息子であるブルーアイズでした。マルコムによって一命を取り留めたシーザーはブルーアイズの証言を得てコバの謀略を知り、コバの暴走と争いを止めるべく人間のコミューンに赴きます。激闘の末にコバを退けるシーザー。コバは「猿は猿を殺さないのが掟」とシーザーに許しを請いますが、コバが自分に従わない仲間を殺したことも知っています。シーザーはコバを仲間と認めず、鉄塔から蹴り落とすのでした。その頃、人間は軍隊が生き残っていることを知り応援を要請していました。今まで避けてきた猿対人間の全面戦争が、ついにその火ぶたを切ることになります。

以下は「聖戦記」。猿と人間は互いの生き残りをかけた全面戦争に突入。争いを望まないシーザーは群れを安全な場所に移動しようと考えています。一方でシーザーを裏切り、人間側に寝返る猿も出てきました。裏切り者の手引きにより群れが襲われ、シーザーは妻と息子のブルーアイズを失います。下の息子であるコーネリアスを仲間に託し、家族を殺した「大佐」への復讐のためにシーザーは群れを離れますが、古い仲間であるチンパンジーのロケット、オランウータンのモーリス、ゴリラのルカは「シーザーを死なせないために」帯同します。途中の村で口のきけない人間の少女と出会い、放っておけと言うシーザーをモーリスは「このままでは死んでしまう」と説得して同行させます。途中、寒冷地に住む動物園から逃げてきた猿の「バッド・エイプ」と知り合い「大佐」の情報を得た一行は、人間同士の殺し合いに疑問を感じながらも「大佐」の基地に辿り着きます。皆の心配をよそに単独、潜入を図ったシーザーは捕らえられ憎き大佐と対面します。基地ではたくさんの猿達が基地を補強する労働力として働かされていました。シーザーは自らを犠牲にしながらも大佐と交渉し、猿に水と食料を与えることを了承させます。そして、大佐もまた人類にとって「裏切り者」であることを知ります。猿インフルエンザは、抗体のある者でも突然言葉が話せなくなり、知能が後退する可能性があるとのこと。大佐は「聖戦」と称して、抗体があっても発症してしまった者を処分してきました。これが人間の倫理観には受け入れられず、反逆者の烙印を押されたのでした。正規軍に狙われる大佐達、巻き添えを食う前に基地から脱走を試みる猿達。勝利を確信した人間達をおそったのは、雪崩という自然の力だった。無事に逃げおおせた猿達だったが、仲間を逃がすために戦ったシーザーは致命傷を負い、仲間の無事を見届けてその生涯を閉じるのだった。

あちこちで旧作へのオマージュが見られて面白かったです。旧作では完全に二足歩行化した猿でしたが、本作は知性を持った猿といった立ち位置で「器用な猿」って感じの立ち居振る舞いが、よりリアルでした。
コバは「創世記」ではシーザーの地位を脅かす獅子身中の虫になるのかと思いきや、意外とあっさりシーザーに忠誠を誓ったので猿の世界に諍いはないのかと思いきや「新世紀」では案の定、シーザーを裏切りましたね。旧作ではゴリラがタカ派でやたら過激でしたが、新作ではコバがその役を担っていました。また猿を駆逐するためなら人間の犠牲もいとわず、タワーの下で爆弾を爆破させる描写は「続・猿の惑星」で地球を消滅させても猿を駆逐しようとする人間=ミュータントの自殺行為に通じるものを感じました。
特撮技術の向上により、表情を追うカットが多かったのも見所。猿でありながら人間並みの知能を持つシーザーの表情は人間以上に説得力があります。シーザーほどではないものの、それでもやはり知性を持った他の猿達の表情も人間のそれと同じように表現力を感じました。
一方で文明が滅びたにもかかわらずいまだに地球の覇者のつもりでいる人間達の傲慢さは、滑稽ですらありました。変化への対応力もさることながら、謙虚であることが一番ですね。
旧作と比較すると、当たり前すぎる展開と言うか、意外性に乏しく説得力のある展開、リアリティのある作品という気がします。個人的にはSF映画は荒唐無稽でありながら説得力と夢があるのが面白いと思うので、あまり現実に寄りすぎる必要はないんじゃないかとも思うのですが。
もちろん3作品とも面白かったのですが、旧作第1作ほどのインパクトはなかったかな。