☆★★★★
2019年公開。
あいみょんが同名の曲を出していたなぁ、という事で予備知識なく、この映画の主題歌なんだろうなと言うことで観た映画。
が、冒頭数分で違和感を覚え、この感じは?と検索してみたら案の定でした。「ここさけ」「あのはな」の系統。感性の問題なのか、あの系統はまったく心に響かないというか、まったく受け付けません。何故なんでしょうか?
ジャンルとしてはファンタジーでいいのかな?ふぁんたじぃ?
自分のためにざっくり書いておくけど、主人公のあおいは高校三年生。楽器のベースを趣味にしているけど、バンドには所属しておらず、卒業したら町を出て東京に出ることに憧れている。あおいには年の離れた姉のあかねがおり、卒業と共に恋人の慎之介と共に東京に出るはずだったが交通事故による両親の他界に伴い地元に留まりあおいの面倒を見ることに。あおいはこの事を気に病んでいると共に、自立してあかねを自由にしたやりたいと願っている。町興しのために大物演歌歌手・新渡戸団吉を呼び寄せた際に、バックバンドのメンバーとして慎之介が含まれており、奇しくも慎之介は地元への凱旋となる。同じタイミングで、かつて慎之介たちがバンドの練習場に使っており、今はあおいがベースの練習に使っているお寺の本堂に、18歳当時の慎之介が現われる。「生き霊」「ドッペルゲンガー」と呼ばれる18歳の慎之介(しんの)は、10数年の経過したあおいと現実を目の当たりにし、あおい・あかね姉妹も現在と想い出の狭間で揺れ動く。
言いたいことはわかるし描きたいこともわかるんだけど、全然「入ってこない」のは何故なんだろうか?誰に対しても共感できないし感情移入できない。ファンタジーに説得力や事象の根拠を求めても仕方ないんだろうけど、「そういうもの」として楽しめる要素が見あたらなかった。
おそらくもうこの作者とは感性的な部分でわかりあえないんだろうな、と思う。理屈ではなく、このシリーズは私の肌に合わないんだろうな。
主人公のあおいは無駄に中二病臭くて好きになれない。少女時代のあおいからして典型的なわがままな子供って感じで、可愛げの欠片も感じない。リアルと言えばリアルなんだろうけど、客の共感を得られないでどうする?という気持ちになる。両親が他界し、自分を育てるために姉のあかねは恋人である慎之介と一緒に東京に出ることを諦め、田舎町でくすぶっているという負い目を勝手に感じている。一方で、自分はあかねのようにはなりたくない、東京に出て音楽で食べていきたいという夢を抱き、ベースの練習に明け暮れている。音楽なんて共同作業なのに、誰とも組まずに黙々とベースを練習しづけるあたり、矛盾があるし、その態度が酷く鼻につく。若者にありがちな「夢を燃え上がらせて、その炎で自分がヤケドをする」とか「夢を大きくしすぎて、その重さで自分が潰される」とか、そんな感じ。焦燥感や苛立ちはわかるんだけど、なんか共感できないんだよな。
共感できない理由の一つが、あかねの恋人慎之介を、あおいもまた好きだって事。自分のために恋人と東京に出ることを諦めた姉の、その恋人に恋慕するとか、不逞というか不義というか、フトドキモノだよなぁ、と思う。いや実際恋心なんて、確かに理不尽なものだけど、それをわざわざアニメにしなくても良くないですか?こっちは何を見せられてんだろう、って感じ。
言いたいことは多々あるけど、語るほどに意味をなくしていきそうなのでやめておこう。あかねの声優がイマイチだなぁと思ったら、吉岡理帆だそうで。女優としてもあまり上手とは思っていなかったので、なんか納得してしまった。一方で慎之介・しんのの声は吉沢亮。俳優の起用ながら、こちらはバッチリ。エンドロールを見るまで別な声優が声を当てているのかと思った。実力の差か。
高校時代のバンドの練習場で、今もあおいが練習場に使っているお寺のお堂に出現し、そこから出られないしんのがあかねの危機(実際はそうでもない)にお堂の結界を破るシーンは面白かった。未練があるから未練のある場所に生き霊が現われたんだろう、と言うのはわかる。生き霊と言うよりも地縛霊じゃねーのか?という気もする(笑
あかねのために買ったギターを封印したことが、そのまま自分をその場所にその時代にその瞬間に封印してしまった、という事だったんだろう。しかしいくら生き霊といえども、生身のあおいと一緒に空を飛ぶというのは、どうなのよ?物理や質量の話をしたらファンタジーは成り立たないって事なのか?
それと、「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」をモチーフにしたタイトルと作品だってのは、良かった。内容がついて行っていたかは別として。
エンドロールでその後の登場人物達の様子をスナップ写真形式に紹介したけど、うん、蛇足とはこの事だな。
そして本当に蛇足だけど「あいおいあおい」というネーミングセンスはいかがなものかと思うよ、本当に。