☆☆☆★★

2022年公開。
劇場で見てきました。現在公開中ですが、ネタバレもへったくれもなく感想を書き殴っておきます。
そもそも企画段階からモヤモヤしたものはありました。なぜカラータイマーがないのか?
それはウルトラマンのデザインを手がけた成田了氏をリスペクトしたからだそうだ。企画・脚本を手がけた金城哲夫氏からは「胸にピコピコする装置(カラータイマー)を付けてくれ」と依頼があった。それに対して成田氏は反対。「ピコピコするのはロボットであり、宇宙人が危なくなったらピコピコするのはおかしい」との事。
ウルトラマンのメインターゲットは子供だ。ウルトラマンのピンチというのを視覚的にわかりやすく表現するという点でも、カラータイマーという発想は秀逸だし、歴史を振り返ってもカラータイマーなしにウルトラマンは語れない。
カラータイマーなしのウルトラマンには違和感しか感じない。それに制作・監督の庵野が成田氏をリスペクトしたと言うことは、逆に金城氏をないがしろにしたことにはならないか?オリジナルのウルトラマンに対するリスペクトが足りないという事にはならないか?
「ピコピコするのはロボットであり、宇宙人が危なくなったらピコピコするのはおかしい」というのであれば、生物である怪獣が爆発するのもおかしいのではないか?むしろ私はそっちの方がずっと不思議だった。結局、特撮物語というのは、いつもいくつもの矛盾を抱えているんだ、全てが現実的に理由を付けることができるわけではない。そこも含めて特撮なんだし、そういった「ありえない」を全部飲み込む懐の深さこそが特撮ではないかと思うのだ。
その点を含めて、鑑賞後の感想としてはやはり庵野の「ぼくのかんがえたウルトラマン」なんだろうな、というのが率直な気持ちだ。
まぁとにかく「シン・ゴジラ」を踏まえて、「庵野らしい」印象を強く感じました。ゴジラの時もそうだったけど、政治劇にしたがる。現状を踏まえて社会派劇にしたがる。リアリティを踏まえすぎて意味不明の単語が羅列される。ゴジラではそれが新鮮だったけど、二番煎じともなると「またか」という辟易した気持ちにしかならない。リアリティの追求はいいんだけど、作り込みすぎると鼻につく。政治家が多すぎて、誰が誰だか全然わからないし、そこまで並べる必要があったのか?いろいろ風刺も効いていたが、だからこそ逆にシンプルにした方が効果的だったのではないかと思うのだが。
科学特捜隊は「禍特隊」に変わっていた。怪獣が「禍威獣」だから(笑
言葉遊びもたいがいにせいよ。
制服はなし。スーツで活動。なんだかなぁ。まぁ禍特隊は戦わない。対策と戦術を練るだけで、戦うのは自衛隊。オリジナルのような超兵器は存在せず、あくまで現在実在する兵器あるいはそれを下敷きに存在可能な兵器で禍威獣を駆除する。オリジナルの流星マークは登場するけど、それだけだな。
ウルトラマンに変身する隊員・神永役に斎藤工。ウルトラマンに巻き込まれて命を落としかけ、ウルトラマンと融合することで生き長らえつつウルトラマンとして活動するのはオリジナルと一緒。オリジナルではベムラーを追って地球にやってきたウルトラマンが誤ってハヤタの乗るビートルと接触事故を起こしてしまった、という理由付けがあった。シン・ウルトラマンでは、ウルトラマンは突然地球にやってきた。なぜ、地球に来たのか、説明はあったか?私が見逃しただけかと思って帰宅後に検索してみたが本編内で明確な言及はされていないようだ。こういうところもモヤモヤするんだよなぁ。リアリティにこだわっておきながら、こういう一番大切なところがお留守になってる。
ウルトラマンとザラブ星人やメフィラス星人が会話するシーンも、小難しい単語を列挙して知性を強調しているのかもしれないけど、詭弁を弄しているだけに聞こえるんだよな。もっとわかりやすい言葉で話し合った方が観客の感情に訴える事ができると思うんだが。面倒臭い会話をすれば知的に感じるなんて中二病もいいところだぞ。
ウルトラマンの正体が神永だってのも簡単に暴露されてしまって、ネット上のプライバシーがどうとかリアルな話しをする割りには、地球上での今後の神永の立場や人生には配慮しないのか?と思った。オリジナルでも最後にウルトラマンは去り、ハヤタは人間として地球に残された。本作でも同様。映画が終わった後、すでにウルトラマンが残っていない神永の体と立場は、世間と政府と世界に、どのように扱われるのか心配で仕方がない。ウルトラマンが去り、その命によって目を覚ました神永を禍特隊の面々がのぞき込んで安堵する、という終わり方も個人的にはパッとしない。オリジナルのように、ウルトラマンに思いを馳せる神永の表情がほしかった。

とまぁ、不満ばかりを書き連ねたが、それ以外は概ね面白かった。子供向けだったウルトラマンを大人向けに作ればこうなるのか、って感じ。それはそれで悪くない。2004年に作られた劇場版「ULTRAMAN」と、それをプロモーション映画とするウルトラマンネクサス」は、まさにリアリティをもたせた大人も楽しめるウルトラマンという制作意図だったと思うが、ハッキリ言って失敗だったと思う。大人向けの負の要素ばかりが目立ち、暗いイメージしかなかった。リアリティの意味を履き違えた愚作だったと思う。そういう意味でも、本作はとても良いお手本になったのではないだろうか。そもそもウルトラマンは「光の巨人」とか「銀色の巨人」というイメージである。本作ではまさに「銀色の巨人」を体現していました。造形的には、カラータイマーがない以外はオリジナルを踏襲しており、非常に好感が持てるし違和感もありません。
地球上の活動は消耗が激しくエネルギー不足に陥る、という設定は変わらず、カラータイマーがない代わりに体表の赤色の部分が青くなったり緑色になったりする事で表現していました。「ウルトラマンのリメイク」という予備知識があればこそわかる設定で、やはりカラータイマーにはかなわないな。
蒸し返しになるけど、本作でもスペシュウム光線を浴びた禍威獣は爆発してましたね(笑
ウルトラマン以前に放送されたウルトラQの禍威獣も登場するなど、世界観としては「ウルトラマンのいなかった頃に出現した禍威獣」~「ウルトラマン登場前後に出現した禍威獣」というつながりをもって描かれたのも面白かった。実際、ウルトラQではウルトラマンなしで怪獣を退治していたわけだし。それだけに、どうして突然ウルトラマンが地球に現われたのか、ちゃんと理由付けを持って描いてほしかったな。やはりベムラーのエピソードは盛り込むべきだった。
怪獣と宇宙人のチョイスは絶妙だな。「ニセウルトラマン」のザラブ星人と、人間を巨大化させるメフィラス星人。この2人との駆け引きがメインのエピソードになっています。強大な力を持つ正義の味方は、本当に「正義の味方」なのか?いずれは地球を脅かす脅威になりはしないか?という発想はスーパーマンの「アイアンスチール」シリーズですでに描かれているので、あまり目新しさは感じませんけどね。単純に禍威獣や地球外からの侵略者への対抗手段だけではなく、利権が絡む各国間の駆け引きまで持ち出すあたりがリアリティ、なのか?令和のウルトラマンは禍威獣や侵略宇宙人の脅威から人類を守るだけでなく、政治的な駆け引きにまで腐心しなきゃいけないなんて、気の毒だな(笑
オリジナルでは最後の敵となったゼットンは、ウルトラマンの故郷「光の国」から違反者・ウルトラマンを訴追しに来たゾフィーによる惑星破壊の生体兵器として登場。要は「地球人、いろいろヤベェからさっさと駆除した方がよくね?先々のために、その方が宇宙、平和じゃん?」的な理由で丸ごと駆逐される事が星間協定で決まったらしいです。原因はメフィラスなのか、ウルトラマンなのか、人類のふるまいそのものなのかは、それぞれの判断にゆだねるとして。もちろん、ウルトラマンの活躍で回避されるんだけど、それでウルトラマンは命を落として神永復活なんだけど。う~ん、ゾフィー、いいのか?星間協定で決まった作戦が失敗したんだけどウルトラマンに同情したら、アンタも同罪ではないのか?星間協定はそんなに緩いのか?作り込んでいるようで、そういうところがザルなんだよなぁ。ゼットンは、フォルムだけ似せてあえて全然違う存在にしてしまうあたりは面白いアイディアだとは思うけど。ただ、いろいろ理屈をこねすぎて、クッソうぜぇ感は拭えないけど。

そんなこんなで文句もあるけど、そこそこ面白かった。なにより長澤まさみが良かった(笑
気合い入れて仕事する時、自分のケツを叩くのも良かったし(笑
メフィラス星人に利用されて巨大化したけど、スーツのタイトスカートではそりゃいろいろ写真も撮られるわなぁ(笑
世の青少年達が萌えるのも無理はない(笑
禍特隊の女性隊員が巨大化して兵器として利用される、ってのもオリジナルのエピソードなので、庵野のオリジナルへのリスペクトは認めないわけではないんだけど。