いずれも、どちらかというとシビアな評価が多いが、中でも当時ライバルとされていた清少納言に対する評価は辛辣の一言。
「紫式部日記」の中で、彼女は得意気に漢字を使っているがよく見ると間違いが多いとか、このような人間の行く末がいいわけがないとか、清少納言に対して、かなりきついことを書いている。
ここまでくると人物評というよりただの悪口だ。
なぜ、紫式部は清少納言のことをここまでこき下ろしたのか?
それはお互いの主人同士の対立が深く関係している。
ときの一条天皇は藤原道隆の娘・定子(テイシ)を皇后とし、藤原道長の娘・彰子(ショウシ)を中宮としていた。
清少納言は定子の女房(朝廷や貴族に仕えた女性使用人)で、紫式部は彰子の女房だった。
天皇の寵愛を競う二人の后のライバル関係が、女房間の関係にも影響を及ぼさないはずがない。
紫式部の清少納言に対する評価の背景には、そうした確執があったのではないかといわれている。
単純に紫式部が清少納言の才能に嫉妬していたのではないかという説もあるが、こちらはこちらで文学者らしい生々しさが感じられる。
ここまで読んでくださった方に、懐かしのアイドル画像をプレゼント煜
