1603年には征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開いた。
その後、家康は将軍職をすぐに子の秀忠に譲り、「将軍職は徳川家が継承する」ことを天下に示す。
そして自身は大御所と名乗り、実験を握り続けた。
家康の業績をみていくと、「家康=江戸の開祖」というイメ-ジを抱くが、実際に彼が江戸に滞在していたのは、延べにしてわずか4年半ほどに過ぎなかった。
大御所時代は駿府城を居城としており、ほとんどその地で過ごしている。
また、江戸という町は家康一人で築いたのではなく、全国の大名によって建設された都市である。
1605年に家康は「天下普請」を発令し、全国の大名に軍役と同じ位置づけで江戸建設業務に従事することを決めたのだ。
当時、江戸の人口は15万人で、京都の30万人の半分であり、伊達政宗の仙台とほぼ同規模に過ぎなかった。
江戸はまだ、発展途中の町だったのである。
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