彼女は大坂夏の陣で敗北した際、豊臣秀頼と共に大阪城に火をつけて、自ら命を絶ったと考えられてきた。
しかし、彼女の最期を目撃した者はゼロ。
遺体も発見されていないことから、密かに城から逃亡して、実は別の場所で生き延びていたのではないかという説があるのだ。
それは初代総社藩主・秋元長朝が、淀殿を救い出したというもの。
彼は大阪城を攻撃中、一人の美しい女性に助けを求められた。
淀殿はかなりの美貌の持ち主だという、もっぱらの噂があったため、長朝はその女性の飛び抜けた美しさから、淀殿であることを確信。
彼女を救出して、自らの領地へ連れ帰ったというのだ。
長朝の領地とは現在の群馬県に位置し、そこには淀殿が訪れたことを証明する証拠が残されている。
群馬県の元景寺には、淀殿が逃げ出した際に使われたとされる、駕籠の引き戸が残されている。
その内掛けには金糸や銀糸が使われ、豊臣家と父方である浅井家の家紋が入っており、淀殿以外のものとは考えにくい。
また、寺内には彼女のものとされる墓も存在する。
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