豊臣家を乗っ取った淀殿の本当の姿とは? 意外に知らない日本史煜 | シティハンターのブログ

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300人いたといわれる豊臣秀吉の側室の中で、最も愛されていたのが淀殿である。

なかなか子供ができず、困り果てていた秀吉との間に二人の子供を授かり、うち一人は豊臣家の後継・秀頼として、立派に育てあげた。

だが、この淀殿が豊臣家を滅ぼす原因を作った悪女だと、たびたび批判されることがある。

淀殿が悪女と称される理由の1つとして、秀頼の父親は秀吉ではなかったという説がある。

淀殿が懐妊した時、秀吉は50を超える高齢で、肉体的に厳しかったのは間違いない。

さらに秀頼は長身の美男子という、秀吉には似ても似つかない風貌だった。

そのため、石田三成や大野治長などが、父親候補として浮上している。

秀吉の死後、淀殿は豊臣家を完全に掌握するようになる。

家臣団を騙し、豊臣家世継ぎの母として権力を行使する…それが本当なら、大したワルである。

最後に、懐かしのアイドル画像でお楽しみ下さい煜


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