信玄VS謙信、一騎討ちの謎! 意外に知らない日本史煜 | シティハンターのブログ

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「川中島の戦い」といえば、武田信玄と上杉謙信の一騎討ちが想記される。

北信濃の支配権を巡って繰り広げられた戦いは、11年にわたり5度も相見え、中でも1561年の第4次が、最大の激戦であり、両雄の一騎討ちもこの時起こった。

「甲陽軍艦」では、「馬上から切りつける謙信の太刀を、信玄は床ぎ(ショウギ)から立って、軍配団扇で受け止めた」て記されているが、「川中島五戦記」では、「川の中での太刀と太刀との一騎討ち」だったとされている。

また「甲越信戦録」にいたっとは、「謙信はただ一騎で、信玄の床ぎ(ショウギ)の元に乗り付け、三尺一寸の太刀で切りつける。

信玄は床ぎ(ショウギ)に腰をかけたまま、軍配団扇で受け止めた」とある。

ここで1つの疑問が持ち上がる。

果たして両雄の一騎討ちは、本当に存在したのだろうか?

武田氏の軍記「甲陽軍艦」には前述の通り、一騎討ちが描かれている。

ところが、上杉家の史書「上杉年譜」には「信玄に傷を負わせたのは、謙信の家来・荒川伊豆守だ」と記されているのだ。

信玄から見れば、謙信の家来ではなく、謙信本人にやられたとする方が面目がたつ。

そこで「一騎討ち」をでっち上げたのではないだろうか。


終わりに、懐かしのアイドル画像でお楽しみください煜


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