その最大のミステリ-が「義経不死伝説」だろう。
1189年4月30日、源頼朝と対立した義経は奥州に逃れ、衣川館に潜伏していたところを、義経捕縛の命を受けた藤原泰衡に襲われる。
泰衡は500騎をもって、十数騎の義経らを襲撃。
義経はこれが最期と諦め、妻子を殺害した後、自らも命を絶ったのである-享年、32歳であった。
だが、義経の首が鎌倉に到着したのは6月30日のこと。
何と死後43日も絶ってからである。
首は腐敗し、顔も判別できなかったため、「実は義経は生きているのではないか」とささやかれるようになったのだ。
実は岩手県や青森県、北海道には義経にちなむ史跡が数多く残されており、それが事実ならば、義経は海岸伝いに逃げたことになる。
例えば、岩手県遠野には、義経が旅の疲れを癒すために、農家の風呂に入れてもらったという。
また青森県東津軽郡には、義経寺があり、義経が馬を繋いだと伝わる「厩岩」が現存する。
さらに沙流郡平取町には、祭神として、義経の木像が祀られている「義経神社」がある。
そして岩内郡岩内町には、義経がアイヌ民族の女性と別れを惜しんだという雷電峠がある等々。
終わりに、懐かしのアイドル画像でお楽しみください煜
