ハリスが人生を狂わせた芸者の悲哀 意外に知らない日本史煜 | シティハンターのブログ

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日米修好通商条約締結のために日本を訪れていた初代アメリカ駐日総領事タウンゼント・ハリス。

彼は慣れない異国暮らしが続いたため、持病を悪化させて、床に臥せてしまう。

そこでハリスは通訳を通し看護婦をつけるよう、幕府の役人に依頼した。

しかし、当時の日本には「看護婦」など存在しなかったため、役人たちは「ハリスは女を欲しがっている」と勘違い。

こうして連れてこられたのが、下田一の人気芸者であった「斎藤きち」である。

彼女にはすでに婚約者がいたにもかかわらず、幕府は条約締結要求の矛先を他に向けるため、きちを連れていく必要があったのだ。

きちは婚約者との仲を半ば無理やり引き裂かれ、ハリスのもとに送り込まれた。だが、当時の日本人は異国の人々によくない偏見を持っていたため、婚約を破棄してハリスの元に行った彼女は、世間から冷たい目で見られる。

また、きちが一月に十両という多額な報酬を得ていたことが、さらに世間を騒がせた。

三ヶ月後、ハリスの病態が回復し、きちは解雇される。

彼女は再び芸者として町に戻るものの、世間からの視線は冷たく、”唐人(=外国人)お吉”と呼ばれるまでになった。

その後、彼女は酒に溺れ、51歳の時、川に身を投げ、命を絶ったのである。

結婚を目の前に、幸せを迎えるはずだったきち。

彼女の幸せは、国の政略によって奪われてしまったのだ。


終わりに、懐かしのアイドル画像でお楽しみください煜


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