彼の思想は「人間不平等起源論」や「社会契約論」などで発表され、後のフランス革命に大きな影響を与えることになる。
思想家として名を残したルソーだが、その私生活は乱れていた。
生後わずか8日で母を亡くし、10歳の時には父が傷害事件を起こしてジュネーブから出奔。
孤児となったルソーは牧師らに育てられ、彫金師の弟子に。
だが、ある時、門限を破って親方に怒られるのを恐れたルソーは、家出同然で逃げ出している。
16歳の時にフランス東部で、ヴィラン夫人に庇護されて教育を受けた。
彼女とは愛人の関係にまでなったが、ルソーのマゾヒスティックな性癖が明らかになると、夫人から遠ざけられ、1740年に夫人のもとを去ると、フランスやスイスで放浪生活を送っている。
その後、1742年にパリを出ると、3年後には下宿の女中のテレ-ズ・ルヴァス-ルと関係を持ち、10年で5人の子どもを産ませているが、子どもたちは全てを孤児院に入れている。
他にも、ルソーは露出狂であり、10代の頃には強姦未遂で逮捕されたこともあったという。
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